ファミコン(ファミリーコンピューター)が世に出たのが1983年。
その頃中学生だった自分はお小遣いを貯め、さらに妹とお金を出し合って、ファミコンを手に入れました。
それまではゲームセンターに入り浸り、1回100円でいかに長く遊べるか?という心構えでゲームをしていた自分としては「これでタダで好きなだけゲームが出来る!」と大喜びしましたが、現実はそんなに甘くなく、ゲームに熱中して全然勉強しないで数学の中間テストだったか期末テストだったかで「5点」という記録を叩き出した自分に、母親の怒りは頂点に達しました。
「ゲームには終わりがないねんで!」
さすがに「5点」という数字には自分もショックを受け、それから塾に通って強制的に勉強する環境に身を置き、さらに塾の先生がスパルタでビッシビシやられた結果、次の数学のテストで「83点」という高記録を叩き出すことになります。
それに気をよくしたことで勉強を続けることに成功し、有名進学高校に入学・・・なんて奇跡は起きませんが、普通レベルの高校に入学して、普通に仕事をして、普通に結婚をして、普通に生きております。
ただ、ちょっと普通じゃないのは、『YouTubeでゲーム実況する人』という肩書があることくらいでしょうか?(おこがましくてYouTuberとは言えない・・・)
ところで、当たり前のことなのですが、YouTubeでゲーム実況の動画を公開していると、継続することの難しさをヒシヒシと感じます。
もちろん自分が遊ぶのと他人に公開するのは意味が全然違いますが、それでも継続することがどれだけ重要か?は身に染みてわかっているつもりです。
最初は「発見」や「体験」が詰まっているのに、ある程度時計の針が進むと「作業」になってしまい、そこに刺激を感じられないと、「飽き」がやってきます。
ん?ちょっと待てよ?
最初に書いた母親の言葉「ゲームには終わりがないねんで!」って、もしかしてこのことを言っていたのでは?
「ゲームには終わりがないねんで!」の後に「だから頑張って続けなアカンで!」と。
もちろん絶対違うのですが、「ものは言いよう」という便利な言葉もありますから、そういうことにしておきましょう。
そんな母親は今年の初めに急逝し、特別なメッセージを残さずあの世へ行ってしまいましたので、遺言といえるようなものは何もありません。
たぶん、母親が生きていたら「何を言うとんの?」と呆れられるとは思いますが、ま、そういうことにしておいて、いつかあの世で再会した時に、怒られることにします。
それまでは、ガンバロウ!
でわ、股!!