46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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子どもがいない人から見るネグレスト(事件)のハナシ

夫婦生活を20年ほどしてますが、子どもはいません。

ただ、子どもが出来たことはあります。

その新しい生命は嫁さんのお腹に誕生したものの、そのまま大きくなることなく萎んでしまい、私たちに顔を見せてくれることなく命の灯火を消してしまいました。

「子どもが出来たー!」と喜んで、親になる覚悟を決める努力をしていたのに、それが一瞬で崩れ去ったときにはぐちゃぐちゃな気持ちになりましたが、そのとき、人生の先輩が、このような言葉をかけてくれました。

オマエの子は「このまま産まれたら親に迷惑をかけるから・・・」と思ったのでは?

それで自ら身を引いたとしたら、親思いの良い子だったのかもね

 

世の中には、子どもが欲しいけれど出来ない人もいれば、子どもを欲しくないと思っているのに出来てしまう人もいて、そこから「子どもを育てる能力の有無も関係あるのかな?」と考えると、「自分たちには子どもを育てる能力が無かったから?」みたいに思ってしまうこともありました。

もちろん、人間に限らず生命の誕生はそう簡単なものではなく、様々な要因が絡み合うことで初めて出来るものでしょうから親の能力などは関係ないのかもしれませんが、当時の心境としてはそう思わずにはいれませんでした。

 

そんな経験をしている自分が以下のようなニュースを見ると、ちょっとだけ複雑な気持ちになります。

香川県高松市の無職・竹内麻理亜容疑者(26)は2日午後9時ごろから翌日の昼ごろまでコインパーキングに止めた車に6歳の長女と3歳の次女を置き去りにして熱中症とみられる症状で死なせた疑いが持たれています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/12d16f7cc8f5568ffcf35cd215d2d19f19d229f0

世の中的には「またか!」などの母親を非難する言葉が並ぶでしょうが、自分の場合はちょっと違っていて、「それでもこの人には子どもが出来たんだよな~」みたいに思ってしまうのです。

少なくともこの子どもたちはちゃんと産まれてきたわけであり、前述した論法を当てはめれば「親には育てる能力がある」と判断されているわけです。

なのに、こういう残念な結果になったのは、何がいけなかったんだろうか?

うちの場合は産まれてこなかったのに・・・

特に神様の存在を信じているわけではありませんが、さすがに神様、これはあんまりですぜ。

みたいなことをね。

 

もちろん、産まれてくる子どもには何の罪もありません。

産まれてきたときは可愛くても、その後心境の変化で嫌になった親の責任です。

かといって、自分がそうならなかった可能性が無いわけでもなく、絶対の自信があったわけでもありません。

だから複雑というか、自分でもわからないというか、そんな感じの心境です。

あと、自分がスイミングスクールのコーチの仕事をしているのは、たとえ1時間だけでも子どもを預かることによって、親が抱える大変さを一時しのぎしてもらえれば、とは思っています。

 

というわけで特に何の答えも出ないわけですが、少なくとも子どもが出来たということは、子育てをするチャンスに恵まれたわけで、そのチャンスに恵まれなかった自分としては、何とかがんばってほしいなぁ~と、ただただ思うばかりです。

 

でわ、股!!