実家が兵庫県の尼崎市にあり、29年前の今日(1月17日)起きた阪神淡路大震災の被害に遭い、そのことを忘れないために書いています。
28年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ〈mata.〉 - 働けおっさんブロガー
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23年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ - 働けおっさんブロガー
29年前、実家の2階にある自室のベットで寝ていたら、なぜかその時間に目が覚めて、窓から外を見ると夜空に稲光が見えた次の瞬間、下からゴン!ゴン!と突き上げられるような衝撃が来て、勉強机が倒れてガチャン!とガラスが割れる音がして、揺れがおさまったときには部屋は足の踏み場もないくらいグチャグチャになっていました。
幸い自分の部屋以外は大したことはなく、家族も全員無事だったのですが、近所の古い家が倒壊していたり、その後しばらく電気と水道とガスが止まったり、近くを走る鉄道は線路が曲がって運行できなかったり、父親がトレーラーの運転手で、毎日のように走っていた国道の上を通る高速道路が崩壊して通れなくなっていたりとか、それなりに被害がありました。
あとは地震の直後に食料の確保の近所のコンビニに走ったら、みんな考えることは同じで店内大混雑で、やっと買えたのがパン(イチゴスペシャル)だけだったり、その帰りに当時付き合っていた嫁さんに心配の電話をかけて「こんな朝早くどうしたの?」と言われて、それが嫁さんのおかーちゃんに気に入られたり、まだまだ記憶が消えることはありません。
ただ、今年は能登半島で起きた地震をニュースなどで見て、改めて思い出すというか、余計に思い出すというか、そんな感じになりました。
自分なんて、整理整頓できていなかった自室がグチャグチャになったくらいで、「地震に遭った」などと言えないくらいの被害しか受けていませんが、それでも地震が来て怖かったことや、近所の古い家屋が倒壊しているのを目の当たりにして、同じ地震で被害に遭われている方々の大変さは、少しはわかるつもりです。
「けれど大丈夫、必ず元の生活に戻る日が来ます」
なんて簡単に言ってはダメなのかもしれませんが、29年経って元通りの生活に戻った実家の周りを歩いて、そう思いました。
でわ、股!!