46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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26年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ

4年ほど前から、毎年この日(1・17)は阪神淡路大震災のことを書くことにしていて、それは薄れゆく記憶を色あせないようにするためと、あとは同じ日に決まって同じ題材について書くことは、多少でも文章のスキルアップに役立つのでは?と思っているからです。

しかし、さすがに同じ日のことを書くにはネタが尽きてきて、さすがに書くことも無くなってきたかなぁ~なんて思っていましたが、今年は同じ日を体験した母親が亡くなったので、またちょっと違う感じとなりました。

あの日、幸いにも兵庫県の尼崎市にある実家の被害は大したことがなく、自室の勉強机が倒れてガラスが割れたとか、リビングの食器棚の中でいくつかの食器が壊れていたりとか、確かに衝撃は凄かったものの、正直、あんなことになっているとは全く思っていませんでした。

ただ、電気と水道がストップしたことで「アレ?これはやばいかも?」となり、電池で動くラジオから同じ兵庫県の神戸の方が大変なことになっていることを知り、さらに国道43号線の上を走る阪神高速道路が倒壊しているというニュースが流れると、「そんなアホな…」と、当時トレーラーの運転手としてポートアイランド(神戸にある人工島)にある会社に勤めていた父親が、カメラを手に自転車に跨って家を飛び出して行きました。

で、そのことを自分は強く記憶していて、そのとき撮った写真も見た記憶があるのですが、先日、母親の葬儀で使うための写真を物色しているときに、そのときの写真を見た妹が、「コレ何?」と言い出したのです。

どちらかというと家族の事にあまり関心のない兄(自分)と、相反して家族どころか親戚の事まで熟知している妹が、その写真を初めて見るような反応に、ちょっと驚きました。

たぶん、母親が元気だったら、妹は父親の取った行動も、その行動で撮ることが出来たリアルな写真の存在も知ることが無かったでしょうし、自分も妹の驚いた顔を見ることも無かったでしょう。

そして、そうなると、そのとき妹は何をしていたのか?、果たして実家に居たのか?出ていたのか?が気になりますが、それはまた来年のために取っておくことにして、今は聞かずにいたいと思います。

というわけで、また来年!

 

でわ、股!!

 

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