46歳で退職してブロガーになってみた

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24年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ

本日は1月17日ということで、阪神淡路大震災があった日です。

当時阪神地区(尼崎)に住んでいた自分は、それほど大きくなかったけれど、地震の被害を受けました。

そして、その記憶をブログに残そうと、ちょうど1年前にこのような記事を書きました。

www.maskednishioka.com

さらに、この記事の最後には、こう書かれてあります。

そして来年も同じことを書いて、自分の文章スキルがどれくらい上がったかを確かめる・・・前にこのこと自体忘れていそうですけどね。

文章スキルが上がったかどうかはわかりませんが、とりあえず忘れることはなかったので、課題のひとつはクリアといったところでしょうかね。

 

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さて、昨年自分が書いた記事を読み返してみて、書かれていたことは忘れていませんし、そこに新たな記憶が加わることもありません。

  • その日、なぜか地震が起きる直前に目が覚めたこと
  • 当時住んでいた実家は大した被害には遭わなかったこと
  • その後近所のコンビに行ったら店が混乱していたこと
  • 後に嫁さんとなる彼女に電話したら「どうしたの?」となったこと
  • 父親が毎日のように通っていた阪神高速が倒壊したと聞いて絶句していたこと
  • 通勤で使っていたJRの線路が歪んでいたこと
  • 同じ阪神地区でも武庫川の向こう側の西宮は被害が大きかったこと
  • 当時の妹の存在が記憶にないこと

とりあえず昨年と表現の仕方を変えて、文章スキルが上がっている風にしてみました。

 

そしてここから先は、この1年で思ったことを書き残します。

 

当時住んでいた実家には、年に数回訪れます。

その実家には両親だけが住んでいて、年齢の割にはまだまだ元気な様子ですが、それでもいつかこの世を去るでしょう。

自分も妹も結婚しており、お互い住む家があるので、実家をどうするかお考えないといけないのですが、両親がまだまだ元気なので考えが進むことはありません。

ただ、もしそうなったら、実家のある尼崎を訪れる大きな理由が無くなります。

それがいつになるのか、もうすぐなのか、もっと先なのか、必ずその日は訪れるのですが、その日が自分にとって、地震の記憶の風化を加速させる日になるのだろうなぁ~と思っています。

 

そしてそれ以前に、自分の方が先に逝ってしまえば、風化もクソもありません。

今住んでいるのはマンションで、24年前と同じような地震が起きれば、一戸建ての2階レベルの揺れでは済まないでしょう。

しかもあの時は家族4人でしたから、地震が起きたあとも仕事を分担して協力することができましたが、今は嫁さんと2人きりなので、2人とも動けなくなったら助けを呼ぶこともできません。

そこで笛(ホイッスル)を買うことにしました。

molten(モルテン) ホイッスル黄 WHIY

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地震が起きて家具の倒壊などで動けなくなった場合、助けを呼ぶために大きな声を出せば体力を奪われますが、この笛があれば少ない体力で大きな音を出すことができるので、「生命維持」と「救助依頼」の面で一石二鳥というわけです。

もちろん本当はちゃんとした準備(食糧の備蓄から避難訓練など)を、地震経験者としてはしておくべきなのでしょうが、わかっていても・・・というところなので、せめてこれくらいはやっておきます。

 

というわけで、また来年も阪神淡路大震災の記事が書けますように。

 

でわ、股!!

 

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