46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

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25年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ

毎年1月17日には、阪神淡路大震災のことを書くことにしています。

25年前のあの日、自分は兵庫県の尼崎市にある実家に住んでいて、なぜか地震起きる時間(5:46)の少し前に目が覚めて、ベッドが下から突き上げられるような衝撃を受けました。

ただ、家が倒壊するほどの被害もなく、電気や水道が何日かストップしただけで、それほど大変な思いをしたわけではありませんが、それでも衝撃を受けたことは間違いありません。

その記憶を忘れないように、という目的と、毎年同じことについて書くことで、ブログを続けていく中での文章スキルの成長とか、ブログに対する気持ちの変化などを感じることが出来るのでは?という狙いで始めまして、3回目です。

www.maskednishioka.com

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昨年書いた記事を読み返してみると、そもそもブログを続けているかどうかもわからない・・・的なことが書かれてあるので、とりあえずそれだけはクリアできています。ただ、文章スキルの方はというと、自分では計れるものではありませんが、そんなに進歩していないような気もします。

 

さて、25年前の記憶はどうなったか?と思い返してみると、自身が受けた衝撃については記憶が薄れることもなく、地震が起きる前に目が覚めて、窓の外に地震雲と呼ばれるものを発見し、ピカピカと雷を発しているなぁと思った次の瞬間、ベッドの下からゴンゴン!と突き上げられるような衝撃を受け、勉強机が倒れてガラスが割れる音がして、完全にパニック状態となりました。

そして地震の衝撃が収まったあと、「あぁ片づけが面倒くさいなぁ~」と布団に包まったものの、1階で寝ている両親は食器棚の前で寝ていることを思い出し、慌てて飛び起きてドアをこじ開けて安否を確認しに行ったことを、ハッキリと覚えています。(両親は無事でした)

 

ただ、それ以外の記憶を思い返そうとしたとき、自分の周りの人間がどうしていたか?みたいなことは思い返せず、これが時間による記憶の忘却なのだな、とは思います。

それでもウンウン唸って思い出していると、自分か勤めていた会社の何人の方かが、神戸に近い場所(西宮市など)に住んでおり、その人は無事だったもののご家族がタンスの下敷きになる被害を受けた、と聞いたのを思い出しました。

自分が会社を辞めたので、その会社の方と会って話すこともなくなりましたが、昨日、なぜかその会社の方が夢に出てたのは、ただの偶然なのでしょうかね。

 

関西のTV局であるABCテレビが、震災の映像をまとめたサイトを作成しました。

www.asahi.co.jp

よく出来ているのは地図と動画がしているところで、かなりわかりやすくなっています。

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で、その地図画像で自分が住んでいたのが尼崎市の立花という場所を確認すると、上記地図ので丸をしているところになります。

つまり、ほんのちょっと震源地がズレていたら、もしくは両親がもうちょっと西側に家を購入していたら、こうやって生きていたかどうかもわらないというところですので、ベタな言い方かもしれませんが、生き延びた命を大事にしないといけないと思わされます。

 

というわけで、今日もがんばって生きて参ります。

 

そしてまた来年、地震のことを書けますように。

 

でわ、股!!