46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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「とりあえずオレの遺骨は海に撒いてくれ!」のハナシ

一年ちょっと前に義父を見送って、数日前に母親を見送って、ありきたりではありますが、「自分が死んだときはどうしようか?」みたいなことを考えるようになりました。

最近は『終活』なんて言葉がポピュラーになり、事前に準備しておくことが当たり前になっているかもしれませんが、どこかそういうことを考えるのがダメなこと、もしくは不吉なことのように思える気持ちが拭えなくて、あまり考えないようにしてきました。

が、51歳という(自分の)年齢や、両親が亡くなることを目の当たりにしたことにより、さすがに「これは考えておいた方が・・・」となりました。

で、母親の葬儀の合間に嫁さんと話して、お互い共通するのが「出来るだけ簡素でよい」ということで、さすがに何にもナシ!というわけにはいきませんが、とりあえずでも葬儀という形さえ整えてもらえたら、あとは出来るだけ簡素にしてもらえればそれでいいや!となりました。

そしてもうひとつが遺骨の問題で、義父の場合は大阪では有名な一心寺という、納められた遺骨で仏像を作る(骨仏というそうです)お寺があり、そこに納めることが決まっていたのですが、母親の場合はちょっとややこしくて、墓もあって決まった宗派もあるけれど、葬儀にはそこのお坊さんを呼ばなかった(呼べなかった)事情があり、今後どうするか?で悩むことになりそうです。

そこで出たのが骨を海に撒く「散骨」ってやつで、これなら墓も宗派も関係ないし、さらには簡素に出来るということでベスト!と思われたのですが、チラッとネットで調べてみるとこれにはこれで問題があって『骨を撒くこと=法律に引っ掛かる』ことになるらしく、下記のウィキペディアを読んでみても「結局どうなの?」となるだけですが、とにかく簡単に考えてはいけないかも?って感じです。

ja.wikipedia.org

もちろん、散骨を扱う葬儀会社はたくさんあって、そういうところに任せてしまうのが一番手っ取り早いのでしょうが、そりゃ~やっぱりお金がかかるわけで、何のために簡素な方法を選んでいるか?ということになりますので、それらは全部却下です。

というわけで、とりあえず「オレの遺骨は海に撒ていくれ!」の方向で決まりはしましたが、それにはそれで問題があるようなので、きちんと準備をしておくことが大事!ということになりました。

ただ、その話に参加した妹から「お兄ちゃんの場合、ずっとプールで仕事しているのだから、プールに撒けばいいのでは?」という発案もありましたが、ちゃんと人道的な理由で却下しておきましたので、プールに通うみなさまは安心してくださいませ。

 

でわ、股!!