46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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昔、水泳の仕事で坂上忍と陣内智則と共演した話

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信じるか信じないかはアナタシダイ

どうも、マスクド・ニシオカです。

私はこれまで26年ほどスイミングスクール運営会社の社員として水泳のコーチをしていました。いろいろあって退職しましたが、その間にいろいろな仕事をしてきました。その中で忘れられない仕事でTVへの出演というのが何度かありました。もう、20年以上前にあったことですが、たぶん、ネット上にもどこにも残っていないことですので、私の狂言だと思われても仕方ありません。ですので、これからここに書くことを信じるか信じないかはあなた次第です。そして、7千文字越えの記事ですのでそこそこ長いです。

書くかどうしようか悩んだ話

これは書こうかどうしようか悩んでいた話です。経験談としては面白いと思うんですけれど、いまどきTVに出演することなんてそんなに珍しいことでも無くなりつつありますので、たいして特筆することでもないし、書いたら書いたで自慢している感じがビンビン伝わりそうなので、お蔵入りにしようか?それともいつか面白く文章を書けるようになったら書こうか?と考えていました。しかし、書こう!と思わせるような出来事が起きてしまったのです。

元会社の上司がバイキングに出演してた!

ちょっと話がややこしくなりますが、先日、嫁と嫁の親と親戚と食事に出かけていました。(その話はここでご確認ください。)

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 で、食事を終えて嫁と買い物をして帰ろうとしていると、自分のスマホにメールが届いているのに気がつきます。送り主は元会社の部下で内容はこうでした。『先生がバイキングに出演していますよ!』

先生は、入江選手の育ての親

元部下に電話をして状況を聞くと、どうやら番組の内容としてオリンピックに出場している選手の恩師や育ての親や寮母さんなどをスタジオに招き、各選手の普段の様子やその選手の凄さなどを聞くという内容だったようです。そして、先生はかつて入江選手を指導しその素質を見抜いた人であり、自分の最後となった現場で一緒に仕事をした方でした。

スタジオ生出演だけでなく、現場での取材もあった

さらに詳しく話を聞くと、どうやらスタジオ生出演だけでなく、スイミングスクールでインタビューもされていて、選手を指導する様子も流れていたようです。そして、そのスイミングスクールは自分が退職したときにいた現場でした。

で、別にそのことがうらやましいとか、自分ももう少し辞めずにいたらTVに出れたかも!?などというわけでもなく、そのスタジオには坂上 忍さんがいたはずです。そこで思い出したのです。昔、自分も坂上さんと共演したことを・・・。

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ある番組に出演する仕事を一方的に言い渡される

それはもう20年以上前の話です。会社に番組制作会社から電話がかかってきまして、偉いさんがそれに対応し勝手に話を決めてしまいました。その頃も水泳のコーチをしていた自分に、こんな内容のことを仕事として言い渡されました。

  • 20代の一般の女性が対象
  • エステサロンのスリムビューティーハウス一社提供の深夜番組
  • 一般女性が、スリムになること
  • 一般女性が、自分の出来ないことを克服すること
  • その両方が出来れば、自分の好きなタレントとデートが出来る

簡単に言うと、一般女性が好きなタレントとデートする為に、スリムビューティーハウスに通ってキレイになって自分の苦手なことにチャレンジする。その様子をカメラに収めてがんばる女性を応援する、というような番組なのです。

ということで、もう少し細かい内容がこうなります。

  • 一般女性は、ウエストと太ももが何センチか細くならないといけない
  • 一般女性は、バタフライで25m泳げないといけない
  • 一般女性が会いたいタレントは、坂上 忍
  • 番組のナビゲーターは、陣内 智則
  • 指導機関は2ヶ月(記憶曖昧)
  • 放映は深夜に30分を4回(記憶曖昧)

このような内容の仕事が会社にあって会社の偉いさんが自分を選んだわけですが、選ばれた理由は単純に自分が宴会部長的な存在だったからで、まだぺーぺーだった自分は文句も言えず受けることになりました。

一般女性はクロールが出来ない状態

仕事として受けた以上、番組に関係なくその女性がバタフライを泳げるようにしないといけないのですが、問題は彼女の泳力でした。自分と顔を合わせる前に泳いでもらったのをディレクターに見せてもらったのですが、クロールが泳げません。25m泳げないというわけでなく呼吸が出来ず進むことも出来ません。うむ、どうしたものか・・・

そのときの会社の実情

TV番組には全く関係ないのですが、そのときの会社の状況は、いろいろあって前の会社が倒産して、それをもう一度会社を立て直したばかりでした。なので、宣伝になることであれば何でもやる!という状況でしたので、効果がどれだけあるかはわかりませんが、例え深夜番組であっても会社の名前がTVに出るということがとても大事でした。ですので、自分には『失敗』の2文字は許されないのです。たとえ彼女が泳げなくても自分は笑顔でディレクターにこういうしかありませんでした。「大丈夫です!バタフライが泳げるようにします!任せてください!」

初めての収録 with 陣内

番組の収録が始まりました。番組製作スタッフとしてディレクター(?)とカメラマンとアシスタントの3人と出演する陣内さんと一般女性が自分のいたスイミングスクールに集まりました。

その頃の陣内さんは、まだ駆け出しの頃で大阪では知られた芸人でしたが全国ではまだまだの存在でした。しかし、とても気さくでやさしくて普通の兄ちゃんという感じで好感が持てました。実は、この数年後陣内さんとはもう一度TVの仕事で共演するのですが・・・それはまたいつかの話です。

さて、初めての収録の限られた時間の中で、ディレクターの指示に従いいろいろな場面を撮影していきます。

  • 陣内さんが状況を説明
  • 陣内さんの紹介で彼女が登場
  • 自分がコーチとして紹介される
  • しかし、こんなに太っている人がコーチで大丈夫か?
  • 自分が飛び込んでバタフライ50mを楽に泳ぐ
  • それを見て、これは間違いない!と練習が始まる
  • その後は、練習風景の撮影

初回はこのように収録が進んでいき時間が限られていましたので、バタフライの練習は基本的なことしか出来ませんでした。そして、この時点で彼女はバタフライが全く泳げないという状況でした。当然です。しかし、期間が2ヶ月あるので何とかなるかな?と思っていましたが、一般女性は堺市在住の方で、自分の現場は大阪にありました。つまり、収録があるときは大阪まで出てきますが、それ以外は自主練習しか出来ないということになり、自分が直接指導できるのは数回ということがわかりました。ここで冷や汗がダラダラと流れます。

2回目の収録 with 陣内

2回目のの収録は彼女が自主練習をしてきて、その成果を見るような内容となりましたが、とくにディレクターからの指示は無く、単純に黙々と練習することが出来ました。当然カメラマンが来ていてその様子を撮影しながら練習をします。たまに陣内さんも一緒にやってみて自分が練習の目的を解説するような感じで進んでいきます。

しかし、この時点で彼女のバタフライの完成度は30%くらいです。基本的なことは理解できているけれど、体が上手く動かせず頭ではわかっているけれどバタフライの動きに近づけないというような感じです。そこで、自分は考えました。

  • 出来るだけ行動をシンプルにする
  • 難しい表現は控える
  • 行動する作業数を少なくする

残された時間と自分が指導出来る回数を考えると、途中で方針変更は出来ません。なので、やるべきことを出来るだけシンプルに伝え、それだけを自己練習でしてきてもらうように宿題として出しました。あとは彼女のやる気次第です。

3回目の練習(収録なし) with ディレクター

2回目の収録から少し期間が空いていたのでどうなっているか心配でしたが、彼女の中でやるべきことを理解してもらえたようで、何となく形になっています。彼女からも「練習でここまではわかったけれど、ここがわからない」というような具体的な話も飛び出し、この時点では完成度60%でしたが、この日の練習で一気に完成に持っていける自信が出来ました。

ここで、番組のディレクターから最初に言われていた条件を確認します。

  • ウエストと太ももが細くなる
  • バタフライで25m泳げる

もちろん、自分の担当はバタフライで25m泳ぐことですので、ウエストと太ももは自分の担当外でしたが、話を聞くとこちらも順調のようでした。となれば、バタフライ25mを泳ぐことが出来れば課題クリアとなります。そこで、彼女には伝えていませんでしたがこんな作戦を立てました。

  • とにかく、立たずに泳げれば良しとされる
  • 多少変でも、両手が同時に上がればバタフライと見なされる
  • 速さは関係なく、どれだけゆっくりでも25mたどり着けば良し

この条件を満たせばバタフライを泳げたということになるので、彼女にはとにかくゆっくり泳ぐことを何度も繰り返し伝えていました。腕の力に頼らずに、タイミングと体の姿勢をコントロールすることだけを意識して泳げば必ず出来ると励まし続けました。実は、その練習方法をこのブログで過去に公開しています。

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この日の練習で60%だった完成度は99%まで駆け上がります。泳ぎ方を出来るだけシンプルに伝えていたおかげで、失敗したときに何がダメだったかがわかるので、彼女も納得して繰り返し練習してくれます。何よりも2ヶ月前まで全く泳げなかったバタフライが、何とか形になっているので本人も楽しかったと思います。

そして、練習の最後に一旦休憩して25m泳いでみると、ついに最後まで泳ぎきることが出来ました。これでバタフライの完成です。

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そのとき、ディレクターが動く!

その日は彼女だけが練習に来ていたのですが、途中から様子を見にディレクターがプールサイドに現れていました。もちろん、自分の練習に注文をつけるわけでなく、じっと見守るような状態です。しかし、最後の仕上げで行った練習で彼女が25mバタフライで泳ぎきるのを見るとディレクターがこう言いました。

「素晴らしい!さすがプロですね!すみませんが、もう一度泳いでくれませんか?」

自分としては、プロの職人としての仕事が出来たという優越感と、彼女はコーチである自分と二人三脚で歩んできて、目標を達成出来たというある種の感動があったので、そのディレクターの申し出にも喜んで答えることにしました。

「大丈夫、さっきと同じように焦らずに泳げば25m泳げるから!」

「ハイ!コーチ!私がんばります!」

なんて、青春ドラマのようなやりとりをして再び泳ぎ始めました。自分としてはかなりの自信があったので彼女を見守りながらディレクターの方をチラリと見ていました。すると、ディレクターは腕時計をちらちらと見ています。その瞬間に嫌な予感がします。

新たな課題が言い渡される

彼女は自分に言われてことを守り、先ほどと同じようにゆっくりと泳ぐことで25m泳ぎきりました。何の問題もありません。しかし、ディレクターが近づいてきてこう言い放ちます。

「すばらしい!きちんと泳げているようですので、これにタイム制限を加えましょう。いま計ってみるとちょうど1分くらいだったんで、制限タイム1分を加えますね。いやぁ~収録当日が楽しみですね~」

嫌な予感の的中です。ディレクターとしては、課題であるバタフライをすんなりとクリアされては番組の盛り上がりに欠けると判断したのでしょう。一応コーチとしてディレクターに文句を言ってみましたが、向こうの方が一枚上手で上手く丸め込まれます。しかし、これ以上練習することも出来ず、あとは出たとこ勝負となります、このとき、自分はTVの世界とは恐ろしいものだと心底思いました。しかし、これが以後のTV収録に参加するときに役立つとは、このときは1ミリも思いませんでした。

最終収録日 with 坂上 and 陣内

いよいよ最終収録日となりました。最後は自分の現場ではなく、大阪の弁天町にあるレジャープールで行われました。そこでの収録内容の説明が、憎きディレクターからありました。

  • 陣内さん登場
  • 自分の紹介
  • 彼女の紹介
  • 坂上さんが肉眼でギリギリ見える遠いところに登場
  • 坂上さんにチャレンジ内容の説明
  • 彼女のチャレンジ開始

番組の内容としては、この時点でウエストと太ももを細くすることに成功しており、あとはバタフライ25mが1分以内で泳げれば成功ということになっています。番組の主旨として、彼女の憧れのタレントである坂上さんにはまだ会うことができず、肉眼でギリギリ見えるところに坂上さんがいて、彼女が作った煮物を陣内さんが届けて食べてもらい、食べた感想をトランシーバーで彼女に伝えてキャッキャウフフというようなやり取りがあるんですが・・・

そんなもん、どーでもええねん!こっちは仕事として請けおってんねんから、絶対うまいこといかなアカンねん!一応水泳コーチのプロのはしくれとして、ねぇーちゃんが緊張してもええように、余裕で25m泳げるようにこっちはやっとんねん!それをTVっちゅーのは、ホンマにおそろしいわ!こっちは会社を背中にせおうてやってんねんぞぉぉぉぉ!

と、心の中で叫びながらニコニコ笑顔で聞いていました。

いよいよ本番

さて、そんなくだりも終わりまして、いよいよ彼女がバタフライ25mを1分で泳ぐという本番となりました。プールサイドには陣内さんが進行役で、自分がサポーター役みたいな形でスタンバイします。ちなみに、自分もバタフライの見本として50m泳ぎましたが放送では全カットされていました。

当然、彼女は緊張していましたが、自分としては練習でやってきたことを確認してあとは送り出すだけです。たかが2ヶ月の付き合い、25mバタフライで泳ぐだけなんですが、自分と彼女としてはTVカメラが入っているだけで気分はオリンピックの決勝です。

「ここまで来たら、やって来たことを信じよう!大丈夫!」

「ハイ!コーチ!私がんばります!」

ちなみにこれも全カットです。

そして時計は動き出す

陣内さんがストップウォッチを手にスタート!自分は大声を出して応援します。

「いいよーいいよー」

「あわてないでー!」

「いけるいける!」

声だけの出演です。さすがにカットされません。そして見事に最後まで泳ぎきります。当然です自分が教えた子ですから。ここまでは完璧です。問題はタイムです。制限タイムは1分。つまり59秒99までOKです。果たして・・・。

59秒86!!

この瞬間、陣内さんの驚きのリアクションは、芸ではなく素のリアクションだったと今でも自分は思っています。それくらいの驚きと、いまで言う『持っている』状態でした。もちろん自分も大はしゃぎをしてプールサイドで叫びました。『やったぁぁぁぁぁ!』はい、カットです。

坂上さんが目の前に登場

目標を達成し番組としてもハラハラドキドキの画が取れました。ここで、そのあとの収録の説明がディレクターからありました。

  • 坂上さんがプールサイドに登場
  • 彼女に花束の贈呈
  • 場所移動
  • 坂上さんと彼女がビーチテーブルの椅子に座る
  • 陣内さんと自分は邪魔ものとして消える
  • 収録終わり

この時点で、もう自分としては役目を終えているのですがディレクターの好意で収録の最後まで付き添わせて頂きました。良いディレクターです。坂上さんがビシッとスーツ姿で花束を持ってプールサイドの現われ、「おめでとう!」と言って自分に花束を渡そうとする小ボケを挟みながら進行していきます。最後はビーチサイドに移動して、これからデートするんだから、自分と陣内さんは邪魔!というセリフを彼女に言わせて、自分が陣内さんを背中に乗せて泳いで消えて行きます。

番組としては、このあと天保山(海遊館)などをデートしている画を放送していましたが、もちろん自分には関係ありません。このあと、自分は更衣室で着替えてひっそりと現場に帰り普通に仕事をこなしました。

坂上さんと陣内さん

坂上さんとはほとんどしゃべりませんでしたが、この頃は今に比べると知名度もかなり低くTVにもほとんど出ておられませんでした。最近はTVで見ない日は無いのでは?と言われるぐらいの活躍で、自分として感慨深いものがあります。

陣内さんとはいっぱいしゃべりました。特に自分が緊張しているのをほぐす為にしゃべりかけてくれたのを覚えています。最後の収録が終わってからも声をかけてくれて、凄く優しい人だと感じました。それから何年も経って結婚をされて離婚をされたのを聞いたときに、『あぁ芸能界というのは、人を変えてしまうんやなぁ~』と思いました。

ギャラは無し 会社からは「お疲れさん」のひと言 PR効果も無し

今回のことについては普段お仕事をこなしながらの仕事でしたので、自分としては仕事がひとつ増えたということです。しかし、番組出演のギャラというのは番組内で会社を紹介することの紹介料と相殺、ということで金銭は発生せず。会社に報告しても「お疲れさん」のひと言。せめて番組を観たというお客さんが来てくれれば!と思いましたがこれも無し。でした。ギャフン。

しかし、20年後にこうやってブログで書いているので良しとしますか。 

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その後

もしかしたら思っている人がいるかもしれないので書いておきますが、その後彼女とは何の連絡も取っていません。というか、連絡先すら知りませんでしたので何もありません。そして、何が悲しいかというとその番組の情報がネットで何も出てこないので、自分が出たことが何も証明できないことです。「プリキュー」という番組名だったはずです。あと、TV放映された映像は実家か現場のどちらかにあったはずですが、現在行方不明です。

ちらっと書きましたが、自分はこれ以外に水泳の仕事で2回TVに出演しており、その内の1回が陣内さんとの再共演となりましたが、その話は、またいつかの機会に書きたいと思います。

さて、この話、信じるか信じないかはあなた次第です。

 

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スイミングスクールで26年水泳コーチの仕事をやってきて思うことのまとめ - 働けおっさんブロガー

 

でわ、股!!

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