46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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ブログを3ヶ月続けて300記事書いて思うこと

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どうも、マスクド・ニシオカです。嫁は姉さん女房です。

さて、先日も書きましたが記事の数が300を越えました。300記事を越えるまで書き続けることが出来ているのは、読者のみなさまのおかげです。というようなことを別の記事で書かせていただきました。ですので、今回は300記事書いて3ヶ月経過した時点での感想といいますか、思ったことを書いてみたいと思います。

ここからが注意となりますが、あくまでも3ヶ月経過して300記事書いた時点で感じたことですので、ブログの先人からすれば通過点であり、たいした内容ではありません。なので、その辺はあまりご期待されないようにお願いしたいと思います。

自己紹介

自分は、20年以上勤めた会社を退職し転職せずにブロガーという無茶な選択をしている46歳のおっさんです。フル勤務の嫁がいて子どもなしで大きなローンも終わっていて、セミリタイアとも言えますが、自分の蓄えと収入が無くなることのバランスを細かく考えず、計画もせずに退職してしまっているダメなおっさんです。

さて、何故こんなことをわざわざ書いているかというと、このブログの新規セッションの数が3ヶ月経った今でも60%近くあるというのが理由です。つまり、この記事を読まれる方の半数近くが始めてこのブログを読むということです。

これは後述しますが、ブログへのたどり着き方にはいくつかあって、多くのブロガーが目指すのが検索流入です。単純にグーグル等の検索で調べた先が自分のブログになるということです。これがあるので今でも新規アクセス数が60%を越えるわけです。

ブログを書き始めた頃、世の中でネットをやっている人はこんなに少ないのか?と思いました。それだけアクセスされることがなく、ネットの世界は狭いと思うことで、自分のブログへのアクセスが少ないことを納得しようとしていました。しかし、当然ながら実際にはそんなことなくて、ネットの世界だけでなく世の中には腐るほど人がいて、その人たちがネットを使っています。

ネットを使う人の数が増えてはいても減ってはいないですから、これからも検索する人は増えるでしょう。ということは、今後も自分のブログを訪れる方で、初めてという方は半数を常に越えることが予想されます。

それを意識してブログを書いていなければ、ここまでブログを書いてこれませんでした。もちろん、グーグルアナリティクスのはじき出した数字が全て正しいとは言えませんが、それでも目安にはなります。その目安を信じるのであれば、毎回新鮮な気持ちで書かなければ、訪れてくれた方に失礼になります。そう思っています。

中途半端だから書けること

300記事をどう捉えるか?自分はまだ300記事だと思っています。ブログの世界には1000記事を越えている人なんてゴロゴロしているわけですから、そんなブログの先人から比べたら、自分のブログなんてまだまだ中途半端です。

ただ、中途半端だから書けることがあるはずで、それを素直に書こうと心がけています。心がけるということは自然に出来ているわけではなくて、気をつけないと脱線してしまうということです。別の表現をすれば、初心を忘れないようにしている、ということでしょうか。

ブログを書き始めたころ、ブログを始めたことを記事にしていました。それが武器になるとは思っていませんでしたが、自分の経験していることは真実でありリアルなので、それに共感してくれる人が読んでくれたと思います。

今はそれから少しだけ時計の針が進み、3ヶ月経過したなりのリアルな気持ちをこうやって書いているわけですが、あれ?2ヶ月前はどうだった?と思うと自分が書いた記事に頼るしかなく、今の自分の気持ちはそのときから多少なりとも変化しています。

ただ、その変化を書くことも自分が体験してきたことであり、長くやれば有利と言われるブログの世界でも、何も考えていなかった初期の頃の方が好き勝手に書くことが出来ていて、その方が良かったと自分で思うこともあるでしょう。

3ヶ月続けてきて思うことは、中途半端だから書けると思っています。これが完璧で全てのことがわかっていれば、もう書くことなんてありません。わからないことがあるから、知りたいことがあるから、試したいことがあるから、書いてみるのです。

今回の記事だって、書いている途中でも『これであってるのか?』とか思いまくりです。いつまでも完璧な正解を求めていたら、書いて修正して書いて修正して、その内イヤになって別の記事を書き始めます。中途半端だからこそ、何となくでも形にして公開してしまうのです。中途半端だから公開して何の反応がなくても良いのです。

情報は最新ではない

今回の記事で何度か出てくる話かもしれませんが、記事を書こうとしたときに、自分で下調べをして、すでに自分が書こうとした記事を見つけて、自分が書こうとしていることが全て書かれていたら、もう自分が書く必要を感じなくなって、書かずに終わる。なんてことが今でも往々にしてあります。

ブログを書き始めたときの方が、余計なことを考えずに書いて公開して、それで満足していたのでしょう。そう考えれば知らないでいるほうが良かったのかもしれません。

しかし、そういう情報を調べる。つまり検索をしてみると、意外と古い情報があることがわかります。例としては、グーグルアドセンスのことを知りたくて検索してみると、何年も前の記事が上位に出てきます。そして、そこには最近話題となっている『広告掲載数の上限撤廃』という内容は書かれていません。

もちろん、それを記事にしたとしても検索上位に来るかどうかはグーグルに任せないといけませんが、検索上位がそういう状況なのであれば、ドンドン書いてもいいんじゃないかと思うわけです。

お坊さんと話したときに、こんなことを教えてくれました。

『今という言葉は無い。今というのはすでに過去になるから。』

それを無理やりブログの世界で解釈すれば、自分が書いた記事も誰かが書いた記事も常に過去の記事ということになります。だから、新しい記事を書けばそれが最新記事です。そしてそれも過去記事となります。無理やりですが。

自分は3ヶ月やっていてもSEOのことなんかは苦手であんまり良くわかっていません。しかし、どういう条件で検索上位に選ばれるか?といことがあんまりわかっていない、ということは理解しています。いや、本当にわかっている人もいるとは思いますが、もし、それがわかってしまえば、グーグルの検索はその人にいいように操られるはずです。

なんとなくですが、自分はSEOってのは生き物のように常に変化していて、誰にも捕まえられないようになっているのではないか?と思うわけです。だから、研究は必要ですが攻略は不要ではないかと思うわけです。ね、3ヶ月という中途半端だから書けるんですよ、こんなことが。

常に変化するものですから、常に最新情報を書いてあげないといけないのです。どこから目線だ!と批判を受けそうですが、良くわかっていないからこそ、こんなことが書けるのです。これがあと半年もやっていれば、自分で読んで恥ずかしくなるかもしれませんが、今はそれでいいと思っています。

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読み手のことを考える

ブログのカスタマイズについてはいろいろな情報があるので、実際に導入されている方も多いでしょう。自分もいくつか試して気に入ったものを導入しています。ただ、結構面倒なことであり、カスタマイズするのが好きな方や、自分でカスタマイズできてしまう方は別ですが、上手く導入できなかったり元に戻せなくなったりします。

このブログを書いている自分は、どんな記事をいつ頃書いたかを何となく記憶しています。いや、記憶してきました。過去形です。300記事を越えて、自分が書いた記事がいつ頃書かれたものかわからなくなっている、もっとひどいのは自分が書いた記事のことを忘れてしまっている、存在を無かったことにしている記事もあります。

そういった過去の記事を、自分の記憶を頼りに探すのに苦労することがあります。もちろん、カテゴリーで分類しているので、それを頼りにすればいいのですが、そのカテゴリーを何にしたかがわからない。もう、末期症状です。

しかし、ブログを書いている本人がそれであれば、ブログにたどり着かれた方はもっとひどいことになっているはずです。このブログにたどり着けば、調べたいことが書かれていることはわかっている、けれど、その記事がどことに埋もれているかがわからない。結局、その内めんどくさくなってブログを去っていく。と考えられるのです。

ここでいう『読み手のことを考える』の意味は、もちろんブログの内容や文章のことも指します。しかし、まだ3ヶ月の自分がとびきりオシャレな文章を書けるはずでもないので、そっちは後回しでもいいと思っています。しかし、せっかく訪れてくれたのに読みたい記事にたどり着けないのは、今すぐなんとかならないか?と思うわけです。

ブログを始めた当初、カテゴリを細かくして増やすことを理解できませんでしたが、記事の数が増えてきたときに理解せざるを得ませんでした。今は記事が300を越えて、カテゴリも細かくしましたが、それでも自分で自分の書いた記事を探し出せないという有様です。

たまに調べ物をするために、市役所や総務省のHPを覗きます。しかし、自分の欲しい情報になかなかたどり着くことが出来ずイライラして、ハッと我に帰るわけです。自分のブログもこんなことになっているのか?と。

これについては、今後どうすればいいのか自分でもまだわかっていません。が、何とかせねば、と思っている状態です。もちろん、「こうすれば!」と思われる方も多いと思いますが、それをやる気になるかどうかは・・・。

検索流入について

検索流入しついて勉強したい方は、別のところを見たほうがいいでしょう。ここでは3ヶ月の間に経験してわかったことだけを書いてみますので、ちゃんとしたことは別のブログをオススメします。

ここでは、わかりやすくするためにグラフを3つ貼ります。

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これは、典型的な検索流入されていない記事のアクセス数のグラフです。書いて公開した日にはたくさんのアクセスがありましたが、それ以後はほぼアクセスが無い状態です。

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これは、書いて公開した後に検索され続けた後、じわじわとアクセスが減っていくのがわかる記事です。

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これは、書いて公開した後にじわじわ落ちそうになりましたが、そのあと増えるというパターンです。

ここに挙げた例は、あくまでも自分のブログの一例です。ただ、その割合が今までだったら一番上のパターンが多かったのが、2番目や3番目のパターンが現れだしたというのが、ブログを3ヶ月書いていて思う率直な感想です。

これは、『ドメイン年齢』に関係しているようで、つまりはブログを始めてからの経過時間に関係しているようです。まだ3ヶ月ですが、グーグルの中ではそこそこ認識してくれるようになっているのは、グーグルアナリティクスのリアルタイムの様子を見ていてもわかるようになりました。

なんだか、すごくややこしく書いていますが、つまりは長く書き続けていれば検索してもらいやすくなる、ということです。これは間違いありません。

しかし、検索してもらいやすい記事、検索を意識した記事を書くのは難しいと思っています。ちなみに、2番目のグラフは 映画ターザンとジャングルブックの違いをまとめてみる - 働けおっさんブロガー 3番目のグラフは 漫画ベルセルク最大の謎を考える - 働けおっさんブロガー となっていますが、正直書いた時点ではこんなに検索してもらえるとは思っていませんでいた。

特にベルセルクの記事は、書いたあとにじわじわ読まれていますが、その後にアニメの放送が始まって、それで再燃したのではないかと考えられます。しかし、自分はアニメが放送されることも知らず、ただ単に自分が好きなことを書いただけで、単なるラッキーです。

今後の課題としては、検索を意識した記事を書かないといけないのですが、どうにもそれに縛られるのが、まだ飲み込めない感じです。これが、もう少し時間が経ってどう変化するか?やっぱり検索を意識した記事ばかりを書くように変わってしまうのでしょうか?

ブログは実験の場

当然ながら、ブログの世界は数字で出来ています。毎朝起きて昨日のブログの数字を確認して、何の記事がどれくらい読まれたのか?昨日書いた記事の反応はどうだったのか?グーグルアナリティクスは全て数字で表してくれます。たまに「あれ?」と思うことはあります。平均ページ滞在時間が0秒とか。

しかし、こうやって自分で書いたブログが数字で表されるいうことは、ハッキリとした結果が出るわけで、曖昧な表現ではありません。これを人によっては好き嫌いが分かれるかもしれませんが、自分はわかりやすくて好きな方です。

少し強引な考え方かもしれませんが、自分はブログを実験の場だと思っています。どんな記事を書けば検索してくれるか、どんな記事を書けば多くの人が読んでくれるか、どんな記事なら長く滞在してくれるか。例えば、この記事もすでに5000文字を越えていますが、長い文章だからといって全て読んでくれるとは限りません。

そういったことの結果がきちんと出るのであれば、いろんなことを試すことはそれ以上に楽しいことはありません。とある本で読んだのですが、『試すことに失敗は無い』という言葉が自分の中にいつまでも残っています。

一時期、自分で決めた課題として1日5記事書いていました。そのときに記事の数を手っ取り早く稼ぐために書いた記事が、前述した 映画ターザンとジャングルブックの違いをまとめてみる - 働けおっさんブロガー です。なので、検索流入を狙って書いた記事でもなんでもなく、きっかけは自分がサボりたいからなのです。しかし、その結果として、長く検索される記事が出来上がったわけです。

理由はどうあれ、自分がやったことにきちんとした数字で答えが出るのであれば、あとは実験の繰り返しです。もちろん、打率が高ければ良いのですが、そんなに打率はあがりません。トライ&エラーの繰り返しであり、バットを振るしかないのです。

例えばこれも実験でしょう。

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こう書いて、読んで下さっている方がクリックしてくれるか?くれないか?この記事がどれくらい読まれるか?中間地点であるここをきちんと読んでくれるのか?そして、認識してもクリックは?きっと、明日にはその結果が出るはずです。

もちろん、これは読者のみなさまを試しているとかそういうものではなく、試すことにどれだけ興味を持ってくれるのか?というふうに考えています。

アクセスに振り回されてみる

こうやって実験を繰り返しているわけですから、アクセス数を気にしていないとは言えません。逆に気にしまくりです。アクセス数を見て一喜一憂していますし、上がれば喜び下がれば凹みます。

これは、あくまでも自分の考え方ですが、やはりブログを書いている以上、多くの人に読んでもらいたいと思っています。多いかどうかは全てアクセス数で表されます。もちろん、細かい違いはありますが、方向性としてはアクセス数が多いか少ないかであり、多くの人に読んでもらいたい、ということはアクセス数を多くすることです。

アクセス数にこだわることは危険だというのは理解しています。ただ、これはアクセス数が下がったときに受けるダメージが大きいので、そのダメージを受けても流せるようにするためだと思っております。自分はブログを始めて少しして、一度大きな波がやってきました。そのあと波は引きそれ以上の波は未だに来ていません。

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すごくざっくりですが、これがこのブログの3ヶ月です。これについては2つの考え方があります。

  • 『よく止めずに続けているな~』
  • 『あの波を、自力で越えられるまで続けよう』

MAXで5400あったアクセス数が、5~600になったときには当然凹みますし、嫌にもなりましたが、あの大きな波はオマケみたいなもので、あれは異常事態だったと今でも思っています。なので、今でも書き続けることが出来ていますし、今後も続けていこうと思っています。そう考えることが出来ているので、今後もアクセス数を気にしていけると思います。

もちろん、記事の内容があってそれに対するアクセス数ですから、良い記事を書くことが何よりも優先されることです。アクセス数ありき、ではなく、良記事ありき、でなければなりません。というか、難しく考えなければ、実験の結果に一喜一憂するわけであって、実験自体を楽しめなければブログ自体を続けることが出来ないでしょう。

これはブログでも仕事でも生活でも何でもそうですが、自分を基準にしてそこから上を見るのか下を見るのか、自分の今のアクセス数を基準にすれば、月間20万のアクセスを稼ぐブログを見れば、まだまだやらないといけないことは山盛りですし、月間1万のアクセスのブログを見れば、応援しよういう余裕の意識が生まれます。

自分は、これを都合よく考えるようにしていて、自分がしんどいときは自分より下を見て、自分の調子がいいときは上を見るようにしています。最低ですね・・・ハイ。ただ、そうすることで3ヶ月続けてこれたので、今後もそんなふらふらした考え方でやっていくと思います。

自分が面白いと思うことを書けるか

これまで書いてきた300記事の中には、ネットで拾ってきたニュースや考え方を題材に自分なりの意見を述べる、というような内容のものがあります。自分の場合アウトプットとインプットの割合が上手くいっていなくて、完全にアウトプットの方が多くてインプットが出来ていません。なので、いくつもの情報から選んで記事を書くのではなくて、自分がチラッと見ただけの情報でも、そこから記事にしてしまうことがあります。

実際にはインプットに量を増やしていろんな中から選択した方が良いような気がしますが、自分は出来ていません。で、その少ない情報の中でも面白い!と思えるかどうかで、それを記事に出来るかどうか?がとても大事になります。

それで、上手く記事にまとめることが出来れば良いですし、さらに自分なりの意見を加えることが出来れば、なお良しとなります。しかし、実際にはニュースなどを見て『面白い!』とは思うけれど、それを記事に出来るかどうかが、本当の問題なのです。

自分の場合、これまでに書いてきた記事の中で誤字脱字、支離滅裂、意味不明、そんなことがいくつもあったと思います。先日も記事のタイトルで『抗議』と『講義』を間違ってしまい、恥ずかしい思いをしました。それでも、記事にしようと思ったニュースは面白くてしょうがない!と思えることでしたので、記事にしてよかったと思いますし、その失敗も記事に出来ました。

すべらない話のことを、ダウンタウンの松本が話していたことがあります。「そのことが起こったときには、面白い要素は全く無く、怒りや悲しみといった感情の方が多いことがある。しかし、それが時間が経って人に話すときに、話し方によって面白い話に変えることが出来る。その技術が芸人に必要。」みたいなことです。

これを、ブログに置き換えて考えれば、自分に起こった不幸な話でもブログに書くときには面白い話に変換出来るはずで、それは不謹慎ではあるかもしれませんが、ブロガーには必要な技術ではないかと思います。

世の中にある様々なニュースは、そのどれもが面白いものではないですが、それを面白く変換してブログで伝えられるか?自分が出来ているわけではありませんが、出来るように努力をしていることです。

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常に新しい自分でいられるか

ブログを書き続けていると煮詰まってきます。自分の場合は毎日5記事書くことを1ヶ月ほど続けたら、ちょっとおかしくなってしまいました。ブログを書くことはそんなに苦痛ではなかったし、そのときの自分には必要なことだと思っていましたが、体が拒否反応というか、頭の疲れが回復できなくなってきました。

その後は、1日2記事にすることでだいぶ楽になりました。今もブログを続けることが出来ているので、この判断は自分では正解だったと思っています。

自分の場合は、他に仕事もせずブログに向かい合っているだけですから、仕事をしながらブログを書いている方と同じにしてはいけないはずです。正直、仕事をしながらブログを書いている人を尊敬しますし、もし、自分が再び仕事を始めたら1日2記事なんてやろうとも思いませんし、1日1記事でも続けられるかどうかわかりません。仕事中に書けるなら別ですけれど・・・。

ブログを続けるには、続けられるだけのネタが必要です。仕事をされている方は仕事で起こったことをブログに書けます。しかし、自分の場合はそれが書けません。なので、自分はそれ以上にネタに敏感にならなければなりません。

それと、ブログを書き上げて公開してアクセスという反応があって、さらにコメントやスターなどの痕跡が残れば、やっぱりブログやっていて良かったなと思います。しかし、それはもう終わったことです。その余韻に浸っている場合ではありません。

前述しましたが、自分はアクセス数に思いっきり左右されています。しかし、自分が書いた記事に対して「面白いでしょ?」と自信を持ってオススメはしません。というか出来ません。それが出来るほど自信が持てれば良いのですが、性格上出来ないのであまりやろうともしません。

なので、自分が書いた記事を公開したら、もう次の記事のことを考えなければなりません。1日5記事書いているときは、1記事書いたら、休む間もなく次の記事を書き始めて始めていました。そうしないと5記事書けないからです。でも、それをやってきたから、書いて公開した記事の事は気にならなくなりました。『公開する』のボタン(?)を押してしまったら、もうそれで次の自分にならないといけないのです。

自分が書いた記事の反応は、数字として結果が出ます。しかも、その反応はすぐ出ない場合もあります。次々と記事を書き続けるには、自分のやってきたことを引きずらずに常に新しい記事を書き始める能力(?)が必要なのです。

人間性が重要となる

人間性ってなんだ?と言われると難しいのですが、何となく自分は直感で感じるものでいいのではないかと思います。ブログの世界は完全なる自由のはずで、読んでいて苦痛な文章であれば読むのをやめればいいですし、拙い文章でも読んでいて気持ちが良ければ読み続ければ良いのではないかと思います。

なんて書いていると、「ほぉ~マスクド・ニシオカさんは人間性の高い人なんですね~」などと言われそうな気もしますが、自分が人間性の高い人間かどうかは自分にはわかりません。その判断は、このブログを読んで下さっている読者のみなさんが決めることであり、自分が判断するものではないはずです。

自分は書き手であると同時に読み手でもあるのですが、あんまり他人のブログを読んでいませんので、ちょっと申し訳ないという罪悪感もあります。ですが、続けていれば良いこともあります。

そんなことを書くと『ステキな異性との出会いがありました!』とか『いきつけのBARに「ニシオカさんのファンなんです」なんて人が現れた!』とか『宝くじが!』なんてことを想像されるかもしれませんが、そんなことは全くございません。それでも、アマゾンの欲しいものリストからプレゼントが送られてきたのは、本当にうれしかったですし、ブログをやっていて良かったと思います。

これが人間性とつながるかどうかはわかりませんが、ブログに人間性が重要であることは間違いありません。

果たして、自分はみなさんにどう映っているのでしょう?自分の書いた文章はどう思われているのでしょう?これが合っているかどうかわかりませんが、こう思うことが人間性を高めることではないか?と思っています。

そして、自分としては自分がやっていることって『あざとい』のではないか?常に考えています。例えば読者の方に「ありがとうございます!」と書いたとしても、それは裏を返せば「人気を得るために本心じゃないのに書いている!」と言われても仕方ありません。だから、自分がやっていることがどう思われるんだろう?と思っています。

ただ、それを言い出せばきりがないので、自分に出来ることを必死になってやるしかなくて、その後、なんらかの結果が出ればそれに従うしかなくて、それを次に生かせるように考えるだけです。それが人間性と関係なかったら、ごめんなさい。

最後に

実際、3ヶ月経ってもわからないことのほうが多いわけで、何となくこれまでに感じたことをダラダラと書いただけの内容になりましたが、自分の中に詰まっていることを吐き出すことは出来たような気がします。この内容が誰かの役に立つかどうかはわかりませんが、今度はまた3ヵ月後に半年書いてわかったことが書けるようにしたいと思います。ここまで長々とご精読ありがとうございます。このブログ初の1万文字越えの記事となりました。

あ、そういえばブログでの収入のこと、マネタイズについて触れるのを忘れていました。それはたいした稼ぎになっていないということでご理解ください。

 

でわ、股!!

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