どうも、マスクド・ニシオカです。
ふと思い立ったので、会社にいたときの与太話を書いてみます。
できるだけシンプルに書きますが、上手く伝わるかどうかは・・・アナタ次第です!
最初は見えなかった線
自分がいた会社は、一度倒産した会社にいた社員で作られた新会社でした。
一度倒産した会社にいた人間ですから、取引先の信用はあまりなく、会社設立当時の資金繰りはかなり苦労したようです。
そんな状況でも社員に給料を払い続けた社長に、それまで給料の遅配を経験していた自分たち社員は心酔しまし、二度と会社を倒産させないよう仕事を頑張り、社長の心意気に応えようと一枚岩になって会社を盛り上げました。
このとき、会社に線らしきものは見えませんでした。
その線は明確にあるわけではなく、自分が勝手に想像したものですが、簡単にいうと「会社の偉い人とそうでない人」の間にある線です。
会社という組織の中で社長も平社員も、さらにアルバイトも一緒になって会社を盛り上げようとする機運があって、まさに一枚岩で線など見えませんでした。
会社が軌道に乗りだしてその線は現れた
明確に「いつ」というわけではありませんが、会社が軌道に乗り始めた頃に、その線が見え始めました。
社長が今後のことを考えて、会社を安定して運営するために、社長と同じ考え方で仕事のできる有望株を幹部に引き上げていきました。
これは会社運営を考えれば当たり前のことですが、もっと単純に社長が仲間を増やすためにそうしたのでは?みたいな感じにも見えました。
当然ながらその線を越えた人は高い給料と地位が与えられ、社員たちからも羨望の眼差しで見られる・・・はずでした。
線を越えた人から聞こえる不満
社長から引き上げられた有能な幹部は、複数の現場をまとめ社員に教育する立場となりましたが、社長と同じように物事を進められず、社員からは不満が出ることもありました。
それらの不満は社長がとりなして火消しを行っていましたが、当然社長が幹部を叱責するようになり、その幹部が社長の愚痴を社員に言うようになります。
もちろんそれらの愚痴は、リップサービスというか笑い話に過ぎないのですが、中には「本音では?」と思うような愚痴もあり、それを聞いた自分は「線の向こうは伏魔殿なのだな・・・」と思うようになりました。
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会社への疑問
会社が軌道に乗り組織が大きくなれば、社員も増え不満も出るようになりました。
例えば、会社が即戦力のために有名大学を出た新入社員を採用して、その社員をあからさまに優遇し可愛がることがありました。
もちろん能力が高ければ優遇されるのは当然ですし、既存の社員もそれを受け入れていましたが、その有能な社員がことごとく辞めていくのです。
簡単にいえば「賢いけれど、会社に恩義も何もない社員ほど辞めていく」で、「賢くないけれど、元々いる会社に恩義を感じている社員は辞めない」ということです。
それを理解してくれない、もしくは、理解しているけれど自分たちじゃダメなんだ・・・みたいなこと、そしてその有能なはずの社員が辞めていくことで、会社に対して疑問を感じるようになりました。
もちろん、会社を運営するために必要なことなのでしょうが、これまで一枚岩でやってこれたのにどうして?みたいな感情もあって、疑問を感じるようになりました。
それと同時に会社の中に線がハッキリと見えるようになり、自分はこの線を越えるのが嫌なことになりました。
次々と線を越えていく人
会社は大きくなり現場も社員も増えていきました。
当然会社を管理運営する人も必要になって、線を越えていく人も増えていきました。
中には他の会社の幹部だった人が飛び級で線を越えて行くこともありましたが、そういう人はたいがい辞めていきました。
線を越えて行く人の中には、自分の同僚も後輩も含まれていました。
年齢も経験も自分より下の人に抜かれるのは悔しいことですが、それ以上に線を越えることに価値を感じていなかった自分は、それらを天秤にかけた結果悔しさはあまり感じず、それよりも「大丈夫?」と思っていました。
線を越えて変化していく人たち
同じ年齢で会社に抜擢され、線を越えた人がいます。
その人自身が線を越えたがっていた人なので、線を越えることは不思議なことではありませんでした。
でも、その人が線を越えてからは会社を守るために、何もかも現場に押し付けて、いざとなっても現場のせいにしていました。
それを見た自分は、会社を守ることよりも自分を守るために必死になっているように見えて、さらに線を越える価値は無いと強く思うようになりました。
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線を越えて地獄を見る人たち
線を越えた人たちは、もれなく給料が上がり役職も手にします。
でも、それは会社への忠誠を誓ったことにもなります。
会社に忠誠を誓ったことになる線を越えた人たちは、会社の言いなりとまではいいませんが、会社に文句も意見も言えなくなりました。
ところが、社長から「意見も出ないような馬鹿は不要だ!」と言われて、線を越えた人たちは見事に翻弄され、社長が右といえば右、左といえば左に意見をころころ変えて社長のご機嫌を取るようになります。
それを線の反対側から眺めている自分にとっては、線の向こうは伏魔殿どころか地獄じゃないかと思えるようになりました。
線を越える気はなくなりました
この会社しか知らない自分には、これが会社の普通の姿なのかはわかりません。
ただ社長には猜疑心、部下が自分のことをどう思っているのか?という感情があって、部下の忠誠心を確かめるためにやっていることだとは理解していて、仕方がないことなのかな?とも思いましたが、線を越える気は完全に失せ、現場でお客さん相手に働くことにやりがいを感じ、線を越えなくても会社に居場所があれば・・・と感じていました。
越えないじゃなく越えられないのでは?
ここまで読んでくださった方の中には、こんなことを思われる方もおられるでしょう。
「能力が低いから、越えられないだけじゃないの?」
確かに。
ただ越えることができたかどうかは、自分からは何ともいえません。
一応現場責任者と課長という役職をもらっていましたが、会社が独自に行う昇格試験は受ける前から辞退していましたから、受かっていたかどうかもわかりません。
なので、この記事のタイトルには「越え(られ)なかった」としておきます。
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自分が会社を辞めてから
自分が会社を辞めてからも、線は消えずに残っているようです。
そしてその線の向こう側では村八分が起こっていて、偉い人でも社長から嫌われたら、他の偉い人からも無視される存在になっているようです。
ただ会社自体は儲かっていてるみたいです。
自分と同じように会社のことを知って辞めていく人もいますが、このご時勢ですから他の会社を辞めた人が入社してくるようで、それで人件費を抑えることに繋がって・・・そりゃ~儲かりますよね。
最後に
結局、その線を越えるどころか会社を辞めちゃった自分ですから、何の説得力もありませんが、「会社とはこんなところですよ」みたいなことは伝わるかな?と思って書いてみました。
最後までお読みくださってありがとうございます。
でわ、股!!
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