先日、メダカ飼育について、嫁さんと議論になりました。
自分が「メダカが卵を産んだら新たな容器が必要になる」と話したら怪訝な顔をしたので聞くと、どうやら嫁さんの頭には「このままいけばメダカの容器でベランダが支配される!」という心配があるみたいで、そこから議論が始まりました。
嫁さんがそう思うのは、もともとメダカを譲ってくれた嫁さんの元上司さんがベランダに6つも容器を置いていて、元上司さんの奥さんがそれを良く思っていないことに「その気持ちわかるわ~!」からです。
メダカを飼う人が容器を増やすのは、例えばメダカの品種ごとに管理したり、稚魚と成魚を分けたり、もっといえばサイズごとに管理したり、ひとつの容器だと起きる不具合(親メダカが卵や稚魚を食べちゃうとか)を回避するために、自然と容器が増えていきます。
なので、嫁さんが「ウチもそうなるのでは・・・」と心配になり、容器を増やす発言を怪訝に思うことは当然なのですが、自分がメダカ飼育に求めることは別にあるので、「その心配はない!」と断言しました。
というのは、確かに分けた方が効率よくメダカを増やすことが出来ますが、自然界ではそんなことはしていないわけで、卵は食べられないようにたくさん産むし、稚魚は食べられないように隠れるし、それで無事に生まれて大きくなれたメダカだけが生き残れるのです。
そんな自然の摂理というか箱庭感というか、そういうのが自分がメダカを飼う理由であり、ちょっと違うかもしれないですが、昔流行った『シムシティー』だったり『ポピュラス』なのです。
ここに道を引けばどうなるのか?
ここに山を作ればどうなるのか?
それを俯瞰で眺められるのが楽しくて、そういう考えでいえば市長や神になった気分を楽しめるのが、メダカを飼う理由なのです。
そうだ!俺は神なのだ!
だから今の容器より大きくて、ベランダに置いて邪魔にならないギリギリの容器を買いたいと話したら、嫁さんの顔はもっと怪訝になりましたとさ・・・
でわ、股!!