46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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「自分がいなくても世界は回る!」をどう捉えるか?のハナシ

義父の永眠により、5日間ほどいつもと違う生活リズムで過ごしました。

その間、これらにまつわる作業を全てストップし、義父を見送ることに集中しました。

  • スイミングスクールのコーチの仕事
  • ブログの更新
  • YouTubeでの動画の公開

もちろん器用な方であれば、葬儀の合間に出来ることもあると思うのですが、自分は不器用というか、気持ち的によくない感じがするので、全ての作業をストップしていました。

 

そして、無事義父を見送る5日間が過ぎて、普通の生活リズムに戻ることが出来たので、コーチの仕事もブログの更新もYouTubeへの動画配信も、再開しました。

で、こういうとき、ふと思うのが・・・「自分がいなくても世界は回っている」ということです。

  • 自分の存在価値はたいしたことが無い・・・(ネガティヴ)
  • 休んでも平気じゃん!(ポジティヴ)

「自分がいなくても問題がない=自分の存在価値は低い」と考えることも出来ますし、「自分がいなくても問題がない=自分が休んでも大丈夫」と考えることも出来ます。

これ、どちらが正しいかどうかはわかりませんが、自分はどちらかというと前者タイプ(ネガティブ)で、だからこそ、「休んでも平気なんだから!」と考えるようにしないと・・・と思っております。

 

昔、自分が現場責任者をやっていたとき、スタッフの配置を決める仕事をしていました。

現場スタッフのほとんどがアルバイトで、当然ですが、休みを要求してきます。

そこで配置を埋める作業をするのですが、よくそこに自分の名前を書いていました。

それで現場が回るのであれば、自分がしんどいだけで済みますので、それでいいやとずっと思ってきましたが、そこに上司が現れて、そのやり方についてこう言われました。

「君の親兄弟が亡くなったとき、どうするの?」

もちろん休ませてもらいます。

さすがに不義理はしたくないと思っています。

そのようなことを伝えると、その上司はこう言いました。

「じゃあ、他の誰かに頼んでもいいんじゃない?」

その言葉は今も大切にしていて、ついつい背負い込んでしまいそうになったときに思い返して、「休んでも平気じゃね?」と考えるようにしています。

 

というわけで・・・

スイミングスクールのコーチの仕事も

ブログの更新も

YouTubeでの動画の公開も

もちろん休まず続ける方が、お客さんや読者や視聴者には喜んでもらえると思うのですが、決して休んだからといってダメなわけじゃないのでしょう。

もちろん休んだことで、離れていく方がいたり、忘れられることもあるでしょうが、それでもまたそこから始めれば、それでいいのでしょうね。

 

なので、ついつい「自分がいなくても問題がない=自分の存在価値は低い」と考えてしまう自分ですが、「自分がいなくても問題がない=自分が休んでも大丈夫」と考えられるように、生きていきます。

 

でわ、股!!