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本日6月13日は不死身といわれたプロレスラー三沢光晴さんの命日

どうも、マスクド・ニシオカです。

先日、ブログの読者さまからアマゾンのほしい物リスト経由でプレゼントを頂きました。

2009年6月13日からの三沢光晴

2009年6月13日からの三沢光晴

 

重ね重ねありがとうございます。

このブログが1周年を迎えたお祝いで、プレゼントを送ってくださったのだと思いますが、この本をチョイスされたところに何かメッセージを勝手に感じました。

その勝手に感じたメッセージは、このブログでも綴った広島旅行の歳、三沢光晴さんの最後の試合となった広島グリーンアリーナの前を通ったのに、何も気付かず思い出せなかったことに対するもので、しかも、プレゼントが届いたのが三沢光晴さんの命日である6月13日の1週間前という偶然も重なり、今回は本の感想と追悼を兼ねて記事を書くことにしました。

プレゼントを贈ってくださった読者さまには、はた迷惑な話かもしれませんが、お許しください。

 

プロレスのミカタ

小学生のときからプロレスを観てきた自分はプロレスファンを名乗っています。しかし、多くのプロレスファンが好むキラキラした部分ではなく、その裏側や人間関係を見ていて、ちょっとドロドロした部分が好きでした。

もちろん純粋にプロレスを楽しんでもいますが、自分が大人になっていくにつれ、興行としての裏側やリアルで泥臭い人間関係の方が興味の対象となりました。

プロレスの味方ではありますが、プロレスの観かたは純粋ではなくゲスいと思われても仕方がありません。

 

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本の内容

この「2009年6月13日からの三沢光晴」は三沢光晴さんの最後の試合となったあの日を中心に、その前に何があったのか?、それからどうなったのか?を、関わった多くの関係者によるインタビューを交えて書かれています。

特にその日リング上で起こったことは分単位で書かれてあり、その生々しさは読んでいて怖くなるほどですが、真実を知りたい方には十分応えられる内容でしょう。

特に三沢光晴さんが倒れた後、運ばれた病院で処置を担当した医師の当日の動き、亡くなった原因に対する言及や、最後に技をかけて警察から事件の疑いまで持たれた齋藤彰俊さんの重い言葉などはいろいろ考えさせられる内容です。

他にも、ファンでありながら医師であるということでリングに上がり心臓マッサージを施した方や、当日会場にいて最後のバックドロップの瞬間を撮ったカメラマン、その写真を掲載するかどうかを悩んだ週間プロレスの編集長、試合を裁いたレフェリー、付け人を勤めていた若手プロレスラー、試合を中継していて唯一の映像を保持するFIGHTING TVサムライのスタッフ、多くの関係者に対し、あの日から6年が経過した2015年にもインタビューを行っており、当時の心境とそれからの変化が綴られています。

 

何が起きたのか、何が原因だったのか

前述したように、本にはあの日何が起きたのかが克明に書かれていて、三沢光晴さんが亡くなった原因は「頚髄離断」と書かれています。

これは頚髄がハサミで切られたかのように完全に断裂しており、これで首から下の機能が失われて呼吸困難に陥ったことが死因となるのですが、頚髄離断が起こった理由については医師も不明だと答えています。

原因は不明ながら、その瞬間、ひき逃げ事故に相当するような衝撃が、頚椎にではなく頚随にだけもたらされたのだ。だから、骨折も脱臼もなく、頚髄だけが離断したのだ。

(はたして、そんなことが実際に起こりえるのだろうか・・・)

それまでに一度も見たことのない事例を前に、改めて武田医師は言葉を失った。 

本文にこう書かれているように、極めて珍しい事例で、死因ははっきりしているものの、それが最後のバックドロップでも長年のダメージの蓄積でもないと書かれてあります。

もちろん、三沢光晴さんのダメージの蓄積は、関係者の誰もが認め、ファンである自分たちでも大丈夫か?と心配されるものでした。最後に診断した医師がそうではないと断言しても、どうしても長年のダメージが体を蝕んでいたのではないか?と思ってしまいます。

 

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辞めたくても辞められなかった

社長を務めていた全日本プロレスを飛び出し、理想の団体としてNOAHを立ち上げた当初は順風満帆の船出でしたが、その後、荒波がNOAHを襲います。スター選手である小橋建太さんの病魔による離脱や、日本テレビのよる試合中継の打ち切りによる資金繰りが難しくなり、三沢光晴さんは社長業と最前線に立つプロレスラーとしての、2枚看板を背負わなければならなくなります。

実情をよく知らないファンですら、その体型を見て、満足な練習が出来ていないことはわかります。それ以上に近しいプロレスラーやマスコミ関係者は、当然不調を知っていて、「いつも通り、体調の悪い三沢さん」という言葉が何度か書かれてあります。

そんな状態を本人も自覚し、周りには「もう無理」と冗談めかして話していたようですが、それでもリングに立ち続けたのは、「NOAHを潰すわけにはいかない」という信念で、若手プロレスラーがもうちょっと育てば・・・と考えていたようです。

 詳しくは書かれていませんが、三沢光晴さんが亡くなってから一ヵ月後、最後の再戦相手となった齋藤彰俊さんに三沢さんの親しい人からメッセージが伝わります。そこには今回のことが起きることを予想した言葉が並んでいたそうで、驚かれたようです。

本来ならばこんなことがあってはいけないし、自分はそうなりたくないけれど・・・。

 

生きていたら、NOAHはどうなっていたのか?

自分と三沢さんを比べるなんておこがましい限りですが、自分は現場責任者でありながら会社を辞め、自分のことを優先に考える選択肢を選びました。もし、あのまま会社い続けていたらどうなるだろう? と考えることはあっても、会社を辞めたことを後悔することはありません。

この本を読んで、三沢さんが生きていたならどうしていただろう?結局その後倒産してしまったNOAHはどうなっていただろう?と考えます。

かつて共にリングに立ったジャイアント馬場は、還暦となってもプロレスラーであり続けました。満足な動きができなくてもリングに立ち続け、ファンが喜ぶように売店に座り続けました。でも、それはジャイアント馬場の昔を知らない、ジャイアント馬場とはそういうものだと思っている人だから許せることで、かつて四天王として激闘を繰り広げていた、「あの三沢」というイメージを知っている方には、なかなか許せるものではないのかもしれません。そもそも本人が納得しないのかもしれません。

この本には三沢光晴さんの言葉として、「人生に、たらればなし」というのが紹介されています。その影響を受けて、「もし三沢さんが生きていたら…」と考えないようにしているプロレスラーもいます。それでもやっぱり思わずにはいられませんし、例え動けなくなって引退して、社長業に専念して、たまにリングに立ってもらえれば、もっと長く「三沢光晴」というものを楽しめたのに、と思います。

 

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永六輔が遺した言葉

最近知ったのですが、数年前にお亡くなりになられた、作家の永六輔さんが、このような言葉を遺しています。

人間は二度死にます。
まず死んだ時。
それから忘れられた時。

この本の最初には、かつて三沢光晴さんが相談相手として信頼していた、<彼女>という表現の僧侶とのやり取りが書かれています。そこには、リングの中では見せない温和な表情だった三沢さんを想像するような、微笑ましいエピソードが語られていますが、その最後は「リングの上で死ねたら本望だよ・・・」で終わっています。

確かに三沢光晴さんは亡くなりましたが、8年たった今でも忘れられることはありません。自分のように、なんちゃってプロレスファンであっても、きっと忘れることはないでしょう。

そういう意味で永六輔さんの遺された言葉をお借りすれば、三沢光晴さんは「まだ一度しか死んでいない」となって、「永遠に生き続ける」のでしょうね。

 

最後に

プロレスファンであれば誰もが衝撃を受けたであろう「あの日」から8年が経ちました。この8年の間にプロレスを知りファンになった人は、このようなことがあったことを知らないかもしれません。こうやってわざわざほじくり返すことは、プロレスに対してマイナスな部分かもしれませんが、知っている人間としては、忘れてはいけないことであると信じ、このような記事を書きました。

 

最後に、いくつかの動画を紹介しておきます。

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三沢光晴さんが小橋建太さんが激闘を繰り広げた名勝負、30分ころからの花道での攻防は相手を信じているからこそ出来るものだと思います。

 

youtu.be

当日中継をしていた、FIGHTING TVサムライの映像で、翌日の情報番組で放送されたものです。FIGHTING TVサムライから日本テレビに貸与されたもので、司会が親交の深かった徳光和夫さんだから実現したことです。

内容はバックドロップが放たれた後からですが、リング上で戸惑う対戦相手のプロレスラーや心臓マッサージをしている様子も含まれているので、かなりショッキングなシーンとなります。閲覧にはご注意ください。

 

youtu.be

三沢光晴さんの追悼番組であり、これまでの活躍から葬儀の様子までまとめてあります。動画のコメントにもありますが、藤波辰爾さんが「リングの上で倒れたら本望だというけれど、受け入れたくはない。これは違う、やっぱり命を落としてはいけない」というのが、本当に重いです。

 

youtu.be

本来、この曲は映画「スパルタンX」のテーマソングですが、プロレスファンからすれば完全に三沢光晴さんの入場曲であり、誰もがこの曲を聴いて自分を奮い立たせたことがあるでしょう。

ピアノの静かな演奏から一転激しいリズムを刻みだした瞬間に、「よし!」とつぶやいて入場の扉をくぐる三沢光晴さん。会場に集まったファンからは「みっさーわっ! みっさーわっ!」の大合唱。そんな情景がこの曲を聴くだけで思い浮かびます。

 

長くなりましたが、最後までお読みいただきましてありがとうございます。

 

あと私事ではございますが、今日から再び仕事に就くことになりました。一年ぶりの仕事に初めての職場、緊張しないわけにはいきませんが、この曲を聴いて、自分を奮い立たせて現場に向かいたいと思います。

 

でわ、股!!

 

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