長年、といっても辞めてしまいましたが、会社勤めをしてきて、ある程度偉くなって組織を管理する責任者の立場になってから、「木を見て森を見ず」という言葉をかなり意識するようになりました。
「木を見て森を見ず」という言葉の捉え方は、会社の規模や場面によっていろいろあると思いますが、要するに一部だけに注目してしまって全体が把握できず、目先の利益は得ることができても、全体で考えればマイナスとなっている状態のこと。という感じでしょうか。
自分が慣れ親しんできたスイミングスクールのコーチの仕事は、1ヶ月(もしくは2ヶ月)で担当コーチが変わる場合があります。
その理由は様々ですが、一番単純なのは、定期的に行われる進級テストで合格した子どもが、新しいことを学ぶためにひとつ上のブロック(区分けの名称)に移る場合です。
それ以外にも、クラス全体の人数と各級の配分が変わることで、人数調整のせいでコーチが変わる場合や、単にコーチがアルバイトで、その時間に入れなくなることなど、とにかく様々な理由でコーチが変わる場合があるわけです。
で、先日、自分も担当していたクラスを変わることになりました。
それまで2ヶ月ほど担当してきた子ども達と離れるわけですが、それを決めるのは人事を管理するスタッフで、一コーチとして仕事を請け負っている自分としては、仕方がないことと飲み込みましたが、ひとつだけ心配事がありました。
その担当していたクラスには、タロウくん(仮名)という低年齢の子どもがいるのですが、とにかくシャイで気弱で消極的な子どもです。
ただお母さんと話してみると、家では活発なのですが、どうにも恥ずかしがり屋で内弁慶で、借りてきた猫になっていると聞きました。
となれば笑顔が見れるはず、本来のタロウくん(仮名)を引き出すのが優先だと奮起して、当初はなかなか心を開いてくれずに苦心しましたが、そこは長年コーチをやってきた経験を生かし、なんとか笑顔を引き出すことができました。
それでもいきなり泳げるようになるわけでもなく、とりあえず笑顔でプールに来てくれるようになった程度ではありますが、それでも嫌がらずに通ってくれることはお母さんも喜んでくれていました。
ところが担当コーチが変わったことで、タロウくん(仮名)の顔色は変わります。
タロウくん(仮名)はまだ通い始めたばかりで、コーチが変わるということが理解できません。変わった初回はキョトンとしていましたが、その次に来たときには泣いてお母さんに抱っこされてプールサイドに現れました。
そしてお母さんから、「子どもが「ニシオカコーチが良かった」と言っています」と聞くことになります。
子どもから好かれたり、選ばれることは、コーチにとって幸せなことです。
「コーチ冥利に尽きる」とは大げさかもしれませんが、このタロウくん(仮名)の場合も、心の中ではガッツポーズです。
しかし、それをスイミングスクールの運営という大きな視点で考えた場合、果たしてこれで良いのか?というのも頭をよぎります。
自分のあとに担当したコーチには悪いですが、そのコーチがタロウくん(仮名)のハートを摑むことが出来なかったので、コーチの技量としては自分の方が上(相性もありますが・・・)だったと言えるのですが、しかし、個人レベルで他のコーチに勝ったとしても、スイミングスクール全体で考えれば、マイナスなのではないか?と思うわけです。
ですので、先程のタロウくん(仮名)が泣いてプールサイドに現れたときも、あえて自分は迎えには行かず、別のコーチに行ってもらいました。
そこで自分が迎えに行けばタロウくん(仮名)は喜んでくれるかもしれませんが、それはコーチのエゴであって、結局コーチが変わるわけではありません。
それをタロウくん(仮名)を理解してくれることは、当分ないとは思いますが、いつかわかってくれると願うことと、そのことを機を見てお母さんには話しておきたいと思います。
残念ながら、このスイミングスクールにおける「木を見て森を見ず」という考え方は、若いスタッフには理解が難しく、責任者を経験してやっとわかることだと思います。
それに今の自分は責任者でもなんでもなく、ただの雇われコーチの身ですので、周りのスタッフに講釈を垂れるつもりもありません。
タロウくん(仮名)同様、こちらも、いつか理解してくれればと願うばかりです。
でわ、股!!
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