46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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「おじいちゃんになってもゲームをする」という夢を叶えるために今できることのハナシ〈mata.〉

先日、義母が施設を移る(今までは一時的で今度のところは永久的)ことになり、長女である嫁さんに付き添う形で、契約やらカンファレンス(各部門の説明会?)に行ってきました。

義母が新しい施設に馴染めるかどうかの不安は尽きませんが、終の棲家となる施設が決まり、とりあえず嫁さんの長女としての大仕事がひとつ片付いたことで、自分としてもホッとしました。

で、説明やら契約やらカンファレンスが合わせて2時間半近くあり、施設側としては、あとで問題になる(ごちゃごちゃ言ってくる人がいる?)ことを考えたらそれでも足りないくらいなのかもしれませんが、結構な時間を要しました。

もちろん主人公は義母であり、義母が生活することに対して「アレは出来るけれどコレは出来ない」といった説明だったのですが、話の途中から「いつか自分も?」という考えが芽生え、話を聞くのは嫁さんに任せ、自分は芽生えた「いつか自分も?」を育て始めました。

いつか自分も施設に入ることになったら、どうしたいだろう?

そう考えたときに真っ先に浮かんだのが「ゲームは出来ないのだろうか?」でした。

子どもの頃からゲームを始め、親からは「ゲームばっかりして!」と怒られ、しかし世の中にはゲームで手先と脳を動かすことで生き生きとする年配者もいて、例えばアナウンサーだった鈴木史朗さんはバイオハザード名人として有名であり、それで鍛えた反射神経で自動車免許証更新のときに実習で高得点を出して、教官から「あまりに反応が早すぎて逆に危険」と言われたそうです。

そんなことも踏まえて、自分の夢は、おじいちゃんになってもゲームをすること。

しかし、契約やらカンファレンスの2時間半の間に「ゲーム」という言葉が出ることは一度もなく、唯一「有料ですが個人用にTVも設置できます」とあったくらいでした。

もちろんこれは自分の話であり、今回の主人公である義母はゲームをしないどころかコントローラーすら握ったことがないので、そんな不必要な質問を挟めるはずもなく、気が付けば2時間半が過ぎていました。

その後、現在もコロナの影響が残るので、基本は家族は入れないのですが、最初だけ特別ということで義母が実際に生活するスペースに入らせてもらうと、個人用TVの他にも大型テレビが設置されていて、そこで演歌が流れているのを皆さんで観るようなことはされていましたが、もちろんそこにゲーム機はありませんでした。

 

ただ、希望がないわけではありません。

義母が80代で自分が50代ですから、約30年後。

もしかすると、施設にゲーム機があることが普通になる時代が来るかもしれません。

しかし自分には何の力もないので、そんな世の中に導くことは出来ません。

ならば今できることは、2つ。

まずひとつ、おじいちゃんになるまで生きること。

もうひとつ、それまでゲームを続けること。

よし!がんばろう!

 

でわ、股!!