46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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我が青春の地『尼崎』のハナシ

生まれたのが大阪の此花区(USJのあるところ)で、10歳で尼崎に引っ越して、結婚する27歳までの青春時代を過ごしました。

なので、ニュースなどで「尼崎」の2文字を見ると、それが良いニュースでも悪いニュースでも、やっぱり気になります。

戦後の赤線・青線に起源を持つ兵庫県尼崎市の花街「かんなみ新地」。この街で営業を続けていた約30店が11月に入り、一斉に閉店した。

「飛田新地とは対照的…」尼崎の色街“かんなみ新地”で70年続いた「警察の黙認」が終わった“ウラの事情”《遊郭が一斉閉店》(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

尼崎には、いわゆる「ちょんの間」と呼ばれる歓楽街があり、それまでは暗黙の了解で営業を続けていたのが、さすがにコロナ禍で休業したけれど、やっぱり我慢できずに再開してたら「御用だ!」となったみたいです。(詳しくはちゃんと読んでネ!)

 

さて、自分は尼崎で青春時代を過ごしてきましたが、このかんなみ新地には、足を踏み入れたことがありません。

というのは、通っていた高校が同じ方面で、学校帰りにこの付近を通って帰ることが多かったのですが、そこで受けたインパクトが、そうさせています。

 

それは高校の中間テストか期末テストの日。

学校はテストだけで終わり、部活もテストでなかったので、まだ早い時間に友達と自転車をこぎながらピンク街(自分たちはそう呼んでいた)を通りかかったときに、女性の声で「キャー!ゴキブリー!」と聞こえたかと思ったら、自分たちの母親と同じかちょっと上くらいの女性がネグリジェ姿が飛び出してきて、顔を見ると化粧で真っ白のオバケだったのです。

まだ社会のイロハを知らない自分たちはあっけにとられ、ただただ「あ~怖かった」と言いながら友達の家に行き、明日もテストなのに勉強など全くせず、暗くなるまでゲームや麻雀で対戦してから帰宅するのでした。

 

今考えれば、薄暗い部屋の中ではこれくらい濃いメイクじゃないとわからないのと、それくらい濃いメイクじゃないと隠しきれないのはわかるのですが、それにしても、まだガキんちょだった自分にはインパクトが強く、いくらエッチなことに興味があるとしても、「あそこだけは行くまい・・・」と強く誓ったものです。

しかし、こうやって消えるとなると寂しい感じ気もするので、とりあえずグーグルビューで現地を見て、「あ~なつかし~」とだけやっておきます。

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ちなみに、夜になるとピンクのネオンが灯ることから、自分たちはピンク街と呼んでいました。

 

というわけで、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

最後に自分が好きなクイズをひとつ。

「女性を優先するのは、何というところ?」

 

でわ、股!!