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【笑福亭仁鶴さん追悼】記憶を辿るハナシ

笑福亭仁鶴さんが亡くなられました。

上方落語を代表する落語家でテレビやラジオでも幅広く活躍した笑福亭仁鶴さんが、今月17日、骨髄異形成症候群のため大阪府内の自宅で亡くなりました。
84歳でした。

落語家 笑福亭仁鶴さん死去 84歳 テレビ ラジオでも幅広く活躍 | おくやみ | NHKニュース

関西以外ではどうかわからないですが、関西では間違いなくお笑い界の重鎮でしたので、「これでまたひとり・・・」的な、残念な気持ちになっております。

 

子どもの頃、どうやら自分は笑福亭仁鶴さんを「にかさんにかさん」と連呼するほど大好きだったようです。(笑福亭仁鶴さんのことを「にかさん」と呼んでいたらしい)

ここで「どうやら」とか「好きだった」とか「らしい」と書いているのは、自分自身はそのことをあまり覚えていなくて、亡くなった母親が「アンタはずっと「にかさんにかさん」言うてたで」と言っていたことや、さらに妹まで「お兄ちゃんはずっと「にかさんにかさん」言うてた」と言われるからです。

しかし、残念ながら、どれだけ記憶を辿ってみても仁鶴さんのことが好きだった記憶がなく、どの口が「にかさんにかさん言うてたんやろ?」と思うばかりです。

もちろん仁鶴さんのことが嫌いなわけでなく、あの特徴のある語り口や、眉毛をピクピクとさせながら表現する姿は好きなのですが、そんな名前を連呼するほど熱狂的だった記憶には、たどり着けません。

 

ただ、一つだけたどり着いたのは、昔NGK(なんばグランド花月)に行ったことがあって、そのとき笑福亭仁鶴さんが出演されていて、たぶん落語ではなく漫談だったと思うのですが、こんな話をされていました。

大阪というのを面白いところで、店の名前も変わってるんです。

ふぐの店が名前が「づぼらや」言うんですが、ふぐの毒を扱うてるのにね~ 

この話の内容の記憶は鮮明ではないので、もしかすると間違っているかもしれませんが、確実に覚えているのは、これくらい短い話で、しかも何もしゃべらない、いわゆる「間」の部分で大爆笑を起こしたことです。

その場にいた自分はもちろん大阪人ですので、「ふぐのづぼらや」という店は知っているのですが、その何もしゃべらない「間」の部分でなぜかわからないけれど笑ってしまい、その後もずっと一流の話芸の凄さを記憶しています。

 

ところがこの話には続きがありまして、このとき誰と行ったかが思い出せないのです。

嫁さんと行ったような気もしますし、以前お付き合いしていた女性のような気もするし、ハッキリとしません。

なので、うっかり嫁さんに「仁鶴さんといえば・・・」と話して、「それ誰と行ったん?」と返されてしまうと恐ろしいことが起きそうなので、確認できません。

なので、迷宮入りです。

 

というわけで、仁鶴さん、安らかにお休みください。

そして、永遠の謎を、ありがとうございます。

 

でわ、股!!