先日、普段あまり見ないツイッターを見ていたら、このような言葉がトレンドに上がっていました。
『堪忍袋の緒が切れた』
どうやら、効果的なコロナ対策を打ち出せないくせに、市民には行動を制約させて我慢ばかり押し付けてくる政府に、「そろそろ堪忍袋の緒が切れるべきでは?」みたいな感じだったと思います。
正直、そもそも家で過ごすことが苦痛じゃない自分としては、別に我慢でも修行でもないので平気なのですが、確かに「他に何か策はないのかね?」と言いたくはなりますし、とにかく世の中が暗い感じになっているのは、なんかイヤですね。
しかし、だからといって「よぉーし!キレてやるか!」とならないのは、「堪忍袋の緒が切れた」という言葉に妄想がムクムクと起き出して、全然違うことを考え始めるからです。
少し前に、ブログ仲間であるまけもけ氏に言及して頂きましたが、大阪にある「野江内代(のえうちんだい)」という地名に対し、ずっと「のえウンチ大」と脳内で読んでいます。
ブレネリスク3 - ぐわぐわ団
「野江内代(のえうちんだい)」を「のえウンチ大」と読んでいたのはナイショです。
2021/04/17 12:59
ただ、自分としては「野江のウンチが大きい」という意味で「のえウンチ大」だったのですが、まけもけ氏によると「野江にあるウンチ大学」と解釈されたそうで、さすがです。
他にもあって、例えば、小柳ルミ子の瀬戸の花嫁より
本当の歌詞は「瀬戸は~、日暮れて~、夕波小波~」のところを「瀬戸ワンタン、日暮れ天丼、夕波こな味噌ラーメン」とか。
他には、藤田まことのギャグ(てなもんや三度笠)より
本当は「当たり前田のクラッカー」なのですが、それを「当たり前田日明のニールキック」とか。
このように(?)、以前から「わざと読み間違える遊び」が好きな自分としては、「堪忍袋の緒が切れた」に対し、絶対王者的な言い間違えが頭を支配して、どうしてもそっちの方が勝ってしまって、本国における諸問題なんかどうでもよくなっております。
というわけで、そんな、頭を支配した「堪忍袋の緒が切れた」に対する言い間違えがこちらです。
「堪忍袋の緒形拳」
というわけで、我が家は今日も平和です。
でわ、股!!