46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

スポンサーリンク

「褒められたい」より「認められたい」のハナシ

自分が長く働いてきたスイミングスクールだけでなく、子どもに何かを教える業界では「褒める」ことが当たり前になっているように思います。

もちろん、生徒が亡くなって問題となった戸塚ヨットスクール(今でもあるの?)や、ダウンタウンの浜田さんや今田耕司さんが通っていた日生学園(方針変更済み)のようなスパルタ教育を売りにするところもありますが、さすがに世の中の流れからすると難しいでしょう。

 

「褒める」が当たり前のように導入されているのは、子どもを褒めることでやる気にさせることが目的で、「ウチではそうやってますよ」と方針を打ち出すことで保護者の財布のヒモを緩めることも狙いです。

ですが自分は、この「褒める」に対して共感はするものの納得はしていませんでした。

その理由は2つありまして、ひとつは商売として考えた場合に差別化を必要とするなら他と同じように褒めていてはダメということで、もうひとつは子どもを扱う上で「褒める」は薬にもなるが毒にもなるということです。

特に後者の方は重要で、いくら「褒める」をやっても上手く指導できないとか、最悪の場合、子どもがスクールをやめてしまうこともあります。

例えば、クロールが泳げる子どもにクロールが泳げることを褒めても大して喜ばず、逆に出来て当たり前のことしか褒めてもらえないから「このコーチちゃんと見てくれていない…」と見下して、レッスン自体がつまらなくなって行きたくなくなる、という感じです。

 

「褒める」ことはもちろん必要ですが、それだけではなく「認める」という考え方が大事だと、今でも思っています。

ただ「認める」のはそう簡単ではなく、説明するのは難しいですが、その子どもにとって困難なことにチャレンジしていることを応援したり、努力したことに対して何らかの報酬(遊ぶ時間を設けるとか)を与えることだったり、決して子どもを子ども扱いせず、一人前扱いすることが「認める」といってもいいでしょう。

 

ところで話は変わりますが、最近これまで縁もゆかりもない現場で働き始めました。

まだ働いて一カ月くらいですが、とにかく褒めてもらえます。

「面白いレッスンですね」

「子どもの扱いが上手いですね」

「さすがですね」

もちろん嫌な気はしませんし純粋に嬉しいのですが、長年やってきた仕事ですから出来て当然で、出来ることを褒められても…

 

って、アレ?

この話、どこかで聞いた(書いた)ような気がしますが、気のせいですかね?

 

でわ、股!!