どうも、マスクド・ニシオカです。
相変わらずニュースウォッチャーをしています。大阪の新今宮駅で突き飛ばし事件があったり、ツンツン男が叩かれたり、西宮の市長が不良自慢してみたり、本当に世の中にはいろんな人がいるなぁと感じます。
スイミングスクールで仕事をしているときに、1年ごとに転勤していたことや指導対象である子どもの入れ替わりもあり、人との出会いと別れは他の業種よりも多かったと思います。
当然その中にはいろんな人がいて、お客さんやスタッフとして自分との関係が保てなくなるまでは対応をしますが、プライベートでは関わりたくない人もたくさんいました。
そんなことを20年以上もやってきたからでしょうか。人を信じることよりも疑う方が自分の身を守れると学びました。表面的には笑顔で接して腹では疑ってかかる。そんな嫌な自分の出来上がりです。
人を疑ってかかるから駅のホームで歩くときには、いつ押されても踏ん張れるようにするし、ツンツン男が身近にいたら関わらないようにするし、自分の身を守ることは出来るのですが、人を信じることが出来ないというのは、なんだか悲しいことのような気がするのです。
会社にいたときに、儲けるという字には信じるという文字が入っている、と教わりましたが、それをいっていた人が猜疑心にまみれて人を信じれなくなっているのを見て、人を信じるというのは、なかなか簡単なことではないんだと学びました。
仕事とプライベートは別で、別だからこそ仕事だからこそ付き合いが出来るのですが、じゃあ仕事で人を信じることは不要で疑っていくべきなのか。自分は未だにわかりません。
人が嫌いなわけでもなく、コミュニケーションが苦手なわけではありませんが、人のことを好きになっていいのだろうか、などと考えたり構えたりしています。
でも、こう書いてしまえば、立派なコミュニケーション障害かもしれませんね。みなさんは人を信じれますか?
では、股!!