46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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昭和44年(1969年)に生まれて良かったと思うことのハナシ

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どうも、マスクド・ニシオカです。

別にこの時代に限ったことではないのですが、それまで無かったモノが時間の経過と共に開発されて、いつの間にかそれが有ることが当たり前になっています。

スマホだって給料の振込みだって家庭用ゲーム機だって、元は無かったのがいつの間にか当たり前の存在になっていて、その両方を経験した自分としてはありがたみを感じますし、その経験がない人には理解できなだろうなぁ~と思ってみたりします。

 

スマホ(携帯)

スマホ(携帯)がない時代、電話をするなら実家の黒電話か外の公衆電話しかありませんでした。

子機なんてありませんから会話の内容は家族にモロバレで、聞かれたくないからコードを伸ばして別部屋に行こうとする、その行為自体が「聞かれたくない話をしますよ」のアピールであり、それ見た父親が「アイツ大丈夫か?」と母親に言って、母親から「大丈夫なの?」と聞かれて、「うるさいわ!」と答えた若かりし日の自分。嗚呼、ごめんなさい・・・。

電話がかかってきた方のプライベートもありませんが、電話をかけるほうも相手の家族が出る可能性があって、電話というものはそれなりに緊張感のあるものでした。

嫁さんと結婚する前のまだお付き合いをしていたときに、嫁さんの家に電話をして母親(後の義母)が出て、「ニシオカくん、娘と結婚するつもりあるの?」と直球で聞かれたことも、いまでは微笑ましいエピソードです。

そんな経験をしていますから、結婚して嫁さんと一緒に携帯を買ったときは、その便利さに感動しました。ただ、もともと携帯なしの生活が長かったので、別に携帯を使わなくても連絡を取れますし、いまだに家の電話を使うことも多いです。

スマホ(携帯)の無かった時代を知る人間として、一番変化を感じるのは「電話番号を覚えなくなったこと」ベタですが・・・

昔は語呂合わせでいろいろ覚えるのが楽しかったのですが、いまは全くですね~

 

給料の現金払い

いまでも日雇いの仕事だったら給料の現金支給は普通にありますが、ここで触れるのは口座振替の無い時代に、毎月給料袋で現金をもらっていた話です。

といっても自分が働き出したころは、すでに給料の口座振込みが増えていて、アルバイトですら口座振込みでした。しかし、自分のやっていたスイミングスクールのアルバイトで、短期教室のときだけ給料袋で現金支給でした。

その中身は、たぶん10万円くらい。

まだ20歳くらいで実家暮らしですから、それだけあれば遊び放題なのですが、当時ギャンブルもしないし彼女もいないので、使い道は覚えたばかりの以外ありませんでした。

同じ年のアルバイトと給料袋を握り締め、職場の近所の居酒屋の暖簾をくぐり、壁に貼られているメニューを端から順番に注文して、それほど強くないのに冷蔵ケースの冷酒をみつけて飲んで、酔ってつぶれて店先にゲロを吐いて逃げて、自転車に乗って電柱にぶつかっていたのは、懐かしい思い出です。

現金支給じゃなくなったことで、父親の威厳がなくなったとか、嫁さんに渡す前に数万円抜くとか、そういう経験ではないのですが、現金支給だからこそパァ~っと使う楽しみを経験できたと思っています。

 

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家庭用ゲーム機

先日、このような記事を見つけました。

famicoroti.blog81.fc2.com

この記事にある年表をみると、最初の家庭用ゲーム機と認識されているのが「オデッセイ」で、それよりも前に産まれた自分は家庭用ゲーム機のない時代を経験しているといえるでしょう。

一般的に家庭用ゲーム機として最初に有名になったのは「ファミリーコンピューター」(以下、ファミコン)で、それを手にしたのは中学生のときでした。その前に「ブロック崩し」が家にありましたが、ゲームセンターあらしの炎のコマを真似てダイヤル型のコントローラーを回しすぎて、壊れちゃったような気がします。

その中学生になるまではゲームセンターに行くか、ゲームウォッチなどの液晶で表示されるポータブルゲームしかありません。ですがゲームセンターはすぐにお金が尽きるし、ゲームウオッチはボタン型電池がすぐに尽きるし、家でじっくりゲームをするには、ゲームセンターにある筐体を買うくらいしか思いつきませんでした。

もちろんそんな大金は持っていませんから、ゲームセンターに行って他人のプレイを見て楽しんでいると、いつの間にかヤンキーに囲まれてお金を持っていないかジャンプさせられて、冷や汗をかいたことも何度もありました。

その時代を経験している人はわかると思うのですが、少ないお小遣いでゲームをするわけですから、単には終われないし、出来るだけ長くプレイできるように腕を磨いたものです。それが家庭用ゲーム機が当たり前となって、ダメならリセットできるようになった現在とは、1プレイに賭ける思いが違ったような気がします。

 

最後に

それまで無かったものが当たり前になる。その両方を経験することで、そのありがたみを感じてきました。他にもプロレスの話も書こうかと思ったのですが、マニアックな内容になりそうだったので、やめておきました。

もちろんこの先、現代には無いモノが開発されて、無かったモノが有るのが当たり前になるのでしょう。宇宙エレベーターとか量子コンピューターとか、あんまり詳しくないですが、そのうちそういうのが当たり前の時代がやってくるのでしょうかね。

 

追記

ついでに読むならこんな記事もいかがでしょうか?

www.maskednishioka.com

 

でわ、股!!

 

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