46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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これまで26年仕事をしてきて一番しんどかったときのハナシ =前編=

どうも、マスクド・ニシオカです。

会社を辞めて再就職もせず、主夫をしながらブログを書いてきましたが、ひょんなことから仕事を手伝うことになり、無職からアルバイト(最近はフリーター?)に身分が変わりました。

再び仕事をすることと、「出勤」という、この一年の間にはなかった時間が生まれたことは、自分の過去を思い返すことに繋がりました。そして、その記憶の中でも忘れられない、しんどかった時期、もしかすると小学生の時にウンコを漏らしたときよりも辛い思い出が、なぜか真っ先に浮かびます。

今回はそのへんのことを、書いていきます。

 

出世レースに負ける

自分がいた会社はスイミングスクールなどを運営する会社で、自分は水泳のコーチをやっていました。水泳のコーチの仕事は、お客さんに水泳を教えること(=指導)が最優先とされて、経営や人事などに関することは、水泳指導の次にされてしまいます。アルバイトコーチから社員になった自分も同じで、水泳指導ばかりやっていました。

しかし、組織としては普通の会社と同じですから、ある程度経験を積んだ人は責任者や本社勤めになっていきます。会社の中では中の下だった自分も、現場では上のほうだったので、現場責任者の候補生となります。

ただ、このとき自分以外にもうひとり、同じ現場に責任者候補生がいて、会社としてはどちらを責任者にするか?という選択を迫られます。会社としては自分たち以外にもいた候補生全てを責任者にするだけの余裕はなく、そもそも現場の数が足りていないので、責任者になれる数は限られていました。

結局、自分よりも仕事ができて部下からも信頼の厚く、お客さんからも人気のあった、もうひとりの責任者候補生を会社は選択します。いってしまえば出世レースに負けたわけですが、その人のことを身近で見てきた自分としては納得ですし、それ以前に責任者になることに重圧を感じていたので、逆にホッとしたことを覚えています。

 

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勝った人が会社を辞める

同じ現場にいた二人の責任者候補生は、ひとりがそのまま現場の責任者となり、もうひとりの自分は別の現場のセカンドに納まります。

まだその頃の会社には温情があったので、どちらかを責任者にして、もう片方を同じ現場の残すのは残酷と考えました。出世レースに勝ったほうには慣れ親しんだ現場での責任者、もう片方は会社が取ってきた新しい仕事で、社員を含めて新たに傘下に入った現場のセカンドです。出世レースには負けましたが、それなりに重要なポストを任されたということになります。

お互い現場は変わりましたが、それからどうなった?と電話でやりとりはしていました。しかし、そのうち出世レースで勝ったほうが電話で「つらい…」と言いはじめました。実は現場責任者にはなったものの、まだ完全に任せるわけにはいかないということで、自分たちがいたときの責任者がお目付け役として残っていて、実質は、なんちゃって責任者のような状況でした。

そのお目付け役は会社からの信頼も厚く、部下からも尊敬される上司でしたが、とにかく仕事に厳しい人で妥協を許してくれません。新しく選任された責任者を、他の責任者に負けないように育てようとしてくれているのですが、やられる側は「自分の好きなようにできない上に、結果が出なければ怒られる」というがんじがらめ状態となり、「つらい…」という言葉が「辞めたい」に変わり、それが「辞める」になってしまいました。

自分としては昔のよしみもありますから、思いつく限りの言葉で励ましましたが、それ以上に内心では、「自分より仕事のできるコイツでこうなるということは、自分だったらどうなるか…」という恐怖感を感じるようになりました。

結局、出世レースに勝った同僚は会社を去り、その現場責任者の椅子は空席になりました。

 

自分に順番が回ってくる

そのころ、自分はめちゃくちゃエンジョイしていました。責任者からアルバイトまで全ての現場のスタッフに、会社の考え方や指導方法をレクチャーするという仕事は大変でしたが、なにせ責任者ではないので、数字が悪かろうが問題が起きようが、自分はセカンドですからね~と開き直っていました。

しかし、出世レースで勝った同僚が会社を辞めて、自分が元いた現場の責任者の席が空いたわけですから、誰かがそれを埋めなければいけません。そこで会社は自分に白羽の矢を立てます。「それが順当だから」というのが会社の言い分ですが、自分としては顔は笑いつつ「それなら最初からそうしとけや!」みたいな腹黒いことを考えました。しかし、まだその頃は会社にたてつくほどの能力も実績もありませんので、内心は嫌々ながらも口では「光栄です」と責任者への任命を受けました。

これが最初から自分が責任者に任命されているなら、「はい、喜んで!」という気持ちだったのでしょうが、なにせ自分の目から見ても実力が上と認める人が、耐え切れず会社を去るという大きな決断までしているのです。

そこはかつて自分が慣れ親しんだ現場のはずですが、もう自分が知っている現場ではありません。自分には、楽しそうに見えて実は悪魔が潜んでいる、伏魔殿のように思っていました。

 

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余談 副社長に頭を下げさせた日

このとき、自分は新しく傘下に入った現場で仕事をエンジョイしていました。責任者になった同僚とは電話で近況を伝え合っていましたが、だんだん仕事を辞める内容に話が変わり、最後には辞めることを直接告げられました。

確証はありませんが、会社に辞めることを伝える前に自分が知っていたわけで、その時点で、自分の転勤と責任者任命が想像出来ていたのですが、なにしろそんな話を聞いている状態ですから、タメ息しか出ない状態でした。

そんなある日、たまたま現場に来ていた副社長が、不意に自分に話しかけます。

副社長「アイツ辞めて、オマエも大変やなぁ~」

自 分「へ?どういうことですか?」

副社長「あれ?知らない?アイツ辞めて、オマエが責任者にな…」

自 分「知らないですよ?」(本当は知っていて、責任者になることも想像済み)

副社長「あ!ごめん!今の聞かなかったことにして…」

まだこの頃の会社は、社員やスタッフへの義理を欠くことは許さん!という教育が行き届いていて、自分もその教育を受けて育った人間ですから、筋道や順番がおかしくなることには敏感になっていました。ただでさえ、同僚が辞めることを止められなかったり、自分が責任者になることへの不安がある中で、この事実をこういう形で知ることになったのは、非常に腹立たしいことでした。

そこで無言のアピールとして、その日の夜、仕事帰りに散髪屋に行って丸坊主にしてやりました。翌日、担当部長から話があると連絡があり、顔を合わせると自分の坊主頭を見てひと言「どないしたんや!?」とこちらの思惑通りの反応をしてくれましたので、事実を伝えました。

担当部長としては、今から会議があって、そこで自分(ニシオカ)の転勤と責任者任命があるから、先に打診をして、仮でも返事をもらおうとしていたようですが、話を聞いて事態を理解し、気持ちを汲んでくれたようで、「転勤と責任者の話はあとにする。まずオマエの気持ちをそのまんま代弁してきてやるから、任せろ!」と会議に向かいました。

それから数時間後、自分がいた現場に社長と副社長、直属の上司である現場責任者と自分がテーブルに付き、副社長から謝罪の言葉と共に頭を下げられました。自分としては、そういうことが目的で取った行動ではありませんし、そもそも自分が未熟で精神的に弱いからそのような行動を取ったわけなのですが、結果としてはそうなりました。

もちろん、会社としても抜けた現場の穴を埋めるためには、気持ちよく働いてもらう必要がありますし、それ以上に同僚が会社を辞めたということは、連鎖して自分も辞めようと考えていると判断したから、この社長と副社長が芝居を打ったのかもしれません。

この話はお目付け役にも届いていて、この結果は自分から電話で伝えました。「副社長に頭を下げてもらうために、頭を丸めたわけではない」とはいっても結果としてはそうなりましたから、何もいえることはありません。お目付け役に結果を伝え、「大丈夫か?」とやさしい言葉をかけてもらいましたが、その後のセリフは厳しいものが続きます。

お目付け役「それで、スッキリしたか?」

自  分 「気持ちの良いものではありませんね」

お目付け役「じゃあ、ひと言だけ言ってもいいか?」

自  分 「はい、なんでしょう?」

お目付け役「どんな形であろうと、副社長が社員に転勤の話をして何が悪い?」

自  分 「はい…」

このお目付け役には大変お世話になっていて、プライベートでもお酒を飲むような間柄でしたが、とにかく仕事に厳しくて妥協を許してくれません。例えば「点を書け」といわれて書いても、「これは小さな丸だ」と言い張るような人です。本人としてはそれで自分たちを強く育てようとしてくれているのは十分理解しています。ただ、その加減を見誤ると、出世レースで勝った同僚のように、会社を辞めることになるかもしれません。本当に難しいところです。

そしてこのあと、自分の転勤と責任者任命が正式に決まり、元いた現場に戻ることになります。そこは自分の知るお客さんと、一緒に働いていたスタッフがいる、慣れ親しんだ現場のはずですが、元の責任者が会社を辞めた、お目付け役が目を光らせている現場であり、自分が座る席は責任者の席で、慣れ親しんだときの景色とは違います。

こうして、自分にとって忘れる事の出来ない、地獄の日々が幕を開けました。

 

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続きは後編へ!

まず、ここまでお読みいただいてありがとうございます。

本当に申し訳ないのですが、最近書き出すと長くなるので、ここまでを前編として一旦区切らせて頂きます。まぁ「余談」を書いたことで長くなってしまっただけなのですが、書いてしまったものは仕方がありません。お許しください。

さて、後編は実際に責任者になって、地獄のような日々が始まります。辞表を胸にお目付け役の家に突然現れたり、うつ病を疑って心療内科に通いだしたり、ロープを手に深夜の山に向かってみたり、今では笑えるけれど当時は本当にしんどかった話が続きます。近日中に公開予定ですので、しばらくお待ちください。

 

で、書きましたー!

www.maskednishioka.com

 さらに後日談を書きました。

www.maskednishioka.com

 

コメントについて

先日書いた記事にこのようなコメントを頂きました。

会社を辞めて無職で1年過ごしましたが、神様はそれを許さないみたい - 働けおっさんブロガー

個人的な事を言わせてもらえば非常に残念です。働いて欲しくなかった。マスクさんのブログは47歳なのに何も考えずに仕事をやめた...っていうのがブログの売りの1つだった。これでは普通のブログになっちゃいますね....

2017/06/14 22:59

b.hatena.ne.jp

前回も「無職を貫いてほしかった…」というコメントをいただきましたが、「非常に残念」とまで書いて頂く読者の期待を裏切ったようで申し訳ないという気持ちです。ただ、前回も書きましたが、自分のとって楽しいことをするだけで、それが昔の知り合いの人助けであったり、自分の好きな子どもへの水泳指導であったりして、元のように社員になってバリバリ働くというわけではありません。

コメントに書かれているように「普通のブログ」になってしまいますが、「47歳なのに何も考えずに仕事をやめて、それから好きなことをしている」というのをブログの売りにしようか?なんて、やんわり思っています。

もちろん、それすらもどうなるかわからなくて、嫁さんが病に倒れて働けなくなればガッツリ働き出すかもしれませんし、それ以前に離婚届が置いてあっても不思議ではありません。

 「普通のブログ」なりに、これからもおもしろいことを書いていく所存でございますので、もしよろしければ、今後もお付き合いください。

 

でわ、股!!

 

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