46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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「0を1にする仕事」と「1を100にする仕事」のハナシ〈mata.〉

世の中にはいろんな仕事がありまして、いろんな業種に役割や立場もあります。

そこにその人の得意不得意も混ざると、もうごちゃごちゃのわけワカメ状態なのですが、不思議と上手くバランスが取れたり、適材適所を考えてくれる偉い人がいたりして、社会は回っています。(たぶん)

で、そんなたくさんある仕事を大きく分けると「0を1にする仕事」と「1を100にする仕事」に分かれる。ということにしておきましょう。

「0を1にする仕事」は新しい作品だったりアイデアだったりを生み出す仕事で、「1を100にする仕事」は、生み出され作品やアイデアを世の中に広める仕事で、同じ仕事でもちょっとやることが違います。

自分は長年スイミングスクールで水泳を教えるコーチの仕事をしてきたので、この例えしか出来ず合っているかどうかわかりませんが、例えば「0から1を生み出す仕事」は『泳げない子どもを泳げるようにすること』で、「1を100にする仕事」は『泳げる子どもをさらに速く泳げるようにすること』です。

もちろん両方ともスイミングスクールのコーチの仕事で、両方とも出来ることがベストなのですが、二刀流はそう簡単ではありません。

ちなみに自分は「0から1を生み出す仕事」が好きで、一度しかない子どもが泳げるようになる瞬間に立ち会えることが、最高の幸せでした。

話を戻すと、「0を1にする仕事」と「1を100にする仕事」を比べると、数値でいうと100倍の違いがあります。(1と100)

なので、数字的なことでいえば「1から100にする仕事」の方が儲かったり有名になれたりするので、どうしても上から目線というか偉そうというか当たり前になります。

が、「1から100にする仕事」は、1がないと仕事が出来ませんので「1を100にする仕事」をしている人は、「0を1にする仕事」をする人を大事するべきなのですが、どうも蔑ろにされているような気がします。

もちろんちゃんと理解している偉い人がいて、また自分の話で恐縮ですが、会社で一番偉い人が全社員が集まる場で、「選手を教えてる人はご苦労さんやけど、ちびっこを教えてるコーチに感謝せぇよ。ほんでちびっこを教えてるコーチは、選手クラスのコーチに偉そうにされたら、直で俺に言うて来い」と言い放った時は、目のウルウルが止まりませんでした。

自分が思うだけですが、たぶん「0を1にする仕事」が好きな人は「1を100にする仕事」にはあんまり興味が無くて、逆もまた然りで、「1を100にする仕事」が面白い人は「0を1にする仕事」は苦手だったりします。

つまり、絶対的に共存共栄しないといけないのに、どうにも「1を100にする仕事」の方が、どうしても偉そうに見えるのは、偏見でしょうか?

そりゃ確かに、何万人のちびっこを泳げるようにしても何の話題にもなりませんが、ひとり金メダリストを育てれば、それで世間から脚光を浴びれますからね。

でも、そのひとりをまず泳げるようにしたのは「0を1にする仕事」をした人がいたからです。

そして漫画だってドラマだって・・・

 

てなことを、ここ最近思いました。

 

でわ、股!!