たぶん自分という人間がねじ曲がっているせいだと思うのですが、ニュースの最後に書かれている犯人(容疑者?)の供述が、大喜利にしか思えないときがあります。
もちろん罪から逃れたいための必死な言い訳なのでしょうが、「さすがにそれはちょっと無理があるのでは?」と思うことが多く、怒りとか憤りよりも笑いの方が勝ってしまいます。
いや、端から茶化すつもりはなく、ちゃんと大真面目にニュースを見ているのに、最後に「そんなつもりはなかった」とか「良いことをしているつもりだった」とか、どの口が言うてんね~ん!とほっぺたを引っ張ってやりたくなるのは、自分だけですかね?
と、そんな感じでネットでウロウロしていると、こんなニュースを目にしました。
「バレなければいいと思った」
確かにバレなければ怒られることも罪にもなりませんから、言ってることはわからなくもないのですが、50人がかりで1時間もかけてやっていれば、そりゃあご近所さんに通報されてバレるのも仕方がありません。
ただ、気になったのはそこではなく、神様は見ているのでは?ということです。
自分にはそんなに信仰心もありませんし、祭りとかだんじりにもあんまり興味はありませんが、少なくともだんじり(正確には山車?)には神様がつきもので、さらに「神様はいつも見ている」という言葉も知っています。
つまり、その2つを強引でも合わせたら、絶対神様は見ているはずで、そこから考えると担ぎ出された神様はいい迷惑なわけで、それって結局神様を冒涜していることになるのでは?とか思っちゃうわけです。
もちろん言い訳というか、何か言わないといけないから言っただけなんでしょうけどね。
そしてやっぱり自分はねじ曲がっているんでしょうけどね。
でわ、股!!