46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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浅墓(あさはか)なハナシ

先日書いたエントリーについて。

www.maskednishioka.com

生前、宗教にドハマリしていた母親ですが、家族である自分たちは完全にへっぴり腰で、跡を継いで欲しいお坊さんとの直接対決に、「跡を継ぐ気はない!」と意思表明をしてきました。

で、それに対して「それで良かったじゃん」とか「ウチもそうした」といったコメントを頂き、「嗚呼、よかったよかった」と言いたいところですが、その方面に詳しい(?)ももはなさんから頂いたコメントに書かれた一文字に、「あ~やっぱりダメだ!」となりました。(ももはなさん、ありがとうございます)

 

その一文字が・・・

 

まずは時計の針を戻し、母親が亡くなった今年の始めの話になります。

母親が亡くなったのが急なこともあり、とにかく今後のことを決めていくために病院で緊急家族会議が開かれて、父親を議長としていくつかの議題に答えを出していきました。

そこで当然、母親が信心していた宗教のお坊さんに連絡して、今後のことを相談するかどうかの議題が持ち上がったのですが、それに対し議長である父親が慎重意見、というか反対意見を出し、私たち子ども(自分と妹)も「親父がそれでいいなら・・・」と乗っかりました。

でも、それ自体は問題なくて、その後も事は順調に運んだのですが、時間の経過とともに、それを言い出したはずである父親が、こんなことを言い出しました。

「でも、かーさんの骨を入れる墓がなぁ」

実は、もう何十年も前に父親名義で墓を建てており、しかも、その墓は母親が熱心に信心していた宗教が管理しているので、亡くなったことは知らせずにこっそり墓に入ることは出来ません。

もちろん他の選択肢もあって、これを気に宗派を変えて墓も墓じまいすることも出来るのでしょうが、なぜか急に弱気になったのか、父親が路線変更を口にしました。

それに対し自分と妹は「ほんなら最初からそうしといたらよかったやんか!」と憤りましたが、自分たちも家族会議の時点で同調しているのと、それを今さら言っても仕方がない・・・となり、仕方がなく路線変更することになりました。

ところが、ここで父親の腰が爆発して入院やら手術となり、その後のことは全て妹がやりくりしてくれて、最初に書いたお坊さんとの直接対決も、喪主代行である自分が行うことになったわけです。

なので、墓に入るために今後もお世話になるけれど、母親ほどの熱心さは持ち合わせていないので跡は継ぎませんが、何卒ひとつよろしく・・・という微妙な距離感を保つことになり、それゆえあまり邪険に出来ない、というわけです。

 

正直、自分も妹も母親が熱心に信心していたことは知っていますし、だから病院での家族会議の時点で、お世話になったお坊さんに連絡する方向で話が進むと思っていましたが、父親がそれを断りました。

その理由は本人に聞いてもハッキリしないと思うのですが、たぶん、面倒くさかったのでは?というのは、同じ血が流れる人間としてはわからなくはないです。

あと、これまで熱心に信心していた母親が亡くなったということは、お坊さん達にとっては一大事であり、宗教をあげての大騒動になることは間違いなく、それに巻き込まれる感じがイヤで・・・というのもあるでしょう。

ただ、それならそれでツッパって、一度吐いた唾を飲まずに突き進んでくれたらよかったのですが、あとになって「やっぱり・・・」と言い出したことと、その後の処理を任されたことは、自分も妹も(父親に対して)イラっとしています。

なので、今後の事については父親に任せるというか、「あとは親父がしろよ」と冷たく引き離したいところなのですが、さすがにそれもなぁ・・・という感じですかね。

 

というわけで、まだまだ今後どうなるかはわかりませんが、確実に「納骨」とか「初盆」が待ち構えているわけで、これからも戦い(?)は続くのでしょうね~

 

でわ、股!!