昨日、母親を見送ってきました。
本当に坂道を転げ落ちるようにアッという間に逝ってしまったので、正直悲しんでいる暇もないくらいドタバタしながらのお見送りとなりましたが、それでも一応ちゃんと見送ることが出来たので、ホッとしております。
ブログを通じてお悔やみのメッセージを送ってくださったみなさま、そして、喪主である父親の意向で親族には連絡はせず、自分も誰にも連絡していなかったつもりだったのが、唯一このブログを読んでくれていてLINEでお悔やみのメッセージを送ってくれた同級生のジャンボさん、本当にありがとうございます。
さて、母親が亡くなったことにもっとシュン…としておくべきなのかもしれませんが、それ以上に「亡くなったあとの手続きは大丈夫だろうか?」とか「一人になった偏屈な父親はどうするのだろうか?」みたいな心配ごとが尽きることはなく、あとは母親が自身のせいで周りの人が落ち込むことは望まないだろう!という勝手な言い分により、早速いつも通りのブログを再開したいと思います。
というわけで、この数日間で体験したことを面白おかしく書いてみましょう。
家族も知らない母親の姿
母親は人を楽しませるのが本当に好きで、その為なら時間もお金も平気で費やすし、恥も外聞もない人でした。
もちろんそのことは家族も承知の上で、一番の得意ネタは「安来節(やすきぶし)」いわゆる「どじょうすくい」という踊りで、頭に手ぬぐいを巻いて、鼻を黒く塗って、手にはザルを持って、腰をドッシリ落とすやつです。
で、葬儀会場のサービスとして、故人の写真をまとめて音楽を乗せてDVDにしてくれて、それを葬儀の合間に流してくれることなったのですが、偏屈な父親としては「別に・・・」と言いかけたのを、それを妹が制して「私がやる!」となりました。
そこで長男である自分も嫁さんも手伝って、実家にあるアルバムを全部引っ張り出して写真を探したのですが、まぁ~出るわ出るわの自分たちが知らない母親の姿。
もちろんどじょうすくい踊りのときのすごい顔をした写真も出てきたのですが、それ以上に真っ赤なドレスに身を包み、明らかに「カツラです!」って感じの衣装で堂々とマイクを持って何かを歌っている姿に大笑いして、さらに手作り感あふれる派手なフラダンスの衣装に、これまた派手な手作りポンポンを手に腰をくねらせながら光悦な表情をする姿には、三人で大爆笑となりました。
葬儀の司会者
葬儀の会場については、もう何十年も前から積み立て(互助会?)をしていたところに決まっていたので、突然のお別れとなりましたがすんなり事は運びました。
で、基本的には葬儀会場の言いなりというかお任せで、参列者は家族のみで行うことは伝えていたのですが、それでもちゃんと司会者が付いて進行をしてくれることになり、事前に司会者との打ち合わせを行うことになりました。
そこで故人である母親の氏名や年齢の確認は別にいいのですが、趣味とか好きだったこととかを聞いてくることに、そのときは小さな「?」だったのですが、式が始まってから大きな「?」となりました。
というのは、打ち合わせのときに司会者に話したことを、式の途中で、さも「ドヤ!」ってな感じで話されても、そりゃ~家族は全部知ってることですから「それを言われてもなぁ~」みたいな感じになり、あまりハートを揺さぶられるものではありませんでした。
ってなことを、通夜が終わった後に飲みながら妹や嫁と話していて、それでもまぁ仕方がないと思っていたら、翌日の告別式の時にも司会者との打ち合わせがあり、さらにそこでは「こういう風な感じでよろしいでしょうか?」と、打ち合わせの時点で本番の感じでしゃべってしまい、さらに「?」は大きくなったとさ。
アマ(尼崎)だから?
葬儀の際、故人の思い出の品などを棺に入れることはよくある話ですが、以前、嫁さんの父親が亡くなったとき、結構「アレやコレは入れることが出来ないんです・・・」と釘を刺されました。
例えばアレは金属製だとか、コレは燃やしたときに公害になるから、などの理由であれば納得なのですが、意外と木製の物だったりとかもダメだった記憶があり、今回も同じようなことが言われると思っていました。
しかし、そんなことを知らない父親は、母親が愛用していたメガネを入れようと言い出したので「もしかするとダメかもね」と優しく伝えておいて、あとは葬儀場の人が判断してくれるだろうとそのままにしておきました。
が、メガネは見事に棺に入り、火葬場まで母親と一緒に行って、そのまま母親と一緒に焼かれてしまいました。
それこそ後の祭りですが、義父の場合はダメなのに、なんで母親はOKだったのか?などと妹と嫁さんと話になったとき、そこで出た答えは、正直ガラの良いとはいえない、そして公害の町として有名な尼崎だから?ということになりましたが、本当のところはわかりませんし、調べることもしませんでしたので、間違っていたらごめんなさいね。
というわけで、無事に母親を見送ることが出来ました。
正直、親孝行な息子だったとは言えませんが、頑丈に生んで育ててくれたことに感謝して、せめて健康で長生きできるように、がんばって生きていきます。
そして、貴女の人を楽しませる精神は自分が引き継いでいますので、負けないように人を楽しませます。
お母さん、ありがとう。
ゆっくり休んでください。
でわ、股!!