どうも、マスクド・ニシオカです。
これまで47年間生きてきて、遺書を書こうと思ったことがありません。なんだか遺書といえば、莫大な遺産を巡って子どもや愛人や遠い親戚が言い争わないように、明確に〇〇にいくらと、みたいなことを書く財産分与目的のイメージがありますが、自分には莫大な遺産も子どもも、もちろん愛人もいませんから、そんな心配はありません。だから遺書を書く必要はないと思っています。
ただ、先日この記事を読んで、ちょっと考えさせられました。
ブログの先人であるわっと氏が、夜中に急に体調が悪く(心拍が早く)なり、翌朝まで改善されず病院に行ったというハナシです。この記事を読んでコメントにも書かせてもらいましたが、自分も他人事ではありません。
- 年齢 47歳
- 身長 平均よりちょっと低い
- 体重 平均よりめちゃくちゃ重い
- 仕事 元水泳指導者 現ブロガー(仮)
- 持病 痛風
これまではスイミングスクールでコーチの仕事をしていたので、同年代のおっさんに比べれば体を動かしていました。しかし、仕事を辞めてブログを書いている日々で、いろいろ工夫はしているつもりですが、以前に比べれば明らかに運動不足です。特に心臓に問題があるわけではありませんが、年齢や運動不足や体型で考えると、いつコロッと逝ってもおかしくありません。
嫁の居ぬ間にコロッと
嫁は会社勤めをしており、朝出て行って夕方帰ってきます。土日は休みですがそれ以外の日は家にいませんので、嫁のいない10時間ほど、家には自分ひとりです。
つまり嫁が仕事に向かったあと、自分が家でブログを書いていて体調が急変すれば、誰も助けれくれる人はおらず、そのままひとりで静かに逝くかもしれないのです。
もともと心配性ではありますが、さすがにそこまで深くは考えていませんでしたが、わっと氏の記事を読んで、いつもよりちょっとだけ深く考えるようになりました。(もちろん、わっと氏には何の罪もありません。)
自分のために救急車を呼べる?
もし、嫁が会社に行っている間に、自分の体調が急変したらどうしよう?
そのことを嫁にいっても、心配するか呆れるか、仕事を探せ!と返されるので黙っています。男は忍耐なのです。
本当にやばくなったら救急車を呼ぶべきですが、これは本当に躊躇すると思います。嫁の体調が悪ければ平気で救急車を呼びますが、自分のことだと躊躇します。仮に119に電話したとしても
「もしもし、なんだか体調が悪いんですけれど・・・」
「住所はどちらですか?」
「いえ、やっぱり大丈夫です。ガチャン」
こんな感じになりそう。
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ブログを書いている最中に心臓が「うっ!」となったら
体調の急変にもいろいろありますが、例えば心臓が急に苦しくなって「うっ!」となった場合、119に電話をしているヒマはないかもしれません。しかし、ブログを書いている途中ですから、ブログにメッセージを残すことができます。
嫁よ、いままでありがとう
こんな男と一緒になってくれて、ありがとう
あとのことは、たのんだお
たぶん、これで精一杯でしょうが、何もしないよりはマシでしょう。
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遺言ではなくエンディングノート
最初に遺言と書きましたが、同じようでちょっと違うエンディングノートというのがあるそうです。
自分はエンディングノートの存在すら知りませんでしたが、いわゆる「終活」のひとつみたいなもので、遺言とは違い法的な力はありません。ただ、気楽になんでも書いていいので、若い人にも人気があるようです。
使い方としては「もしものとき」のために、家族へメッセージを残せるのですが、他にもパスワードなんかも書いておくようです。
しかし、墓場に持っていくべきことは書いてはいけません。たぶん。
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そうならないように体を動かします
結局、そんな心配をしてヒマがあるなら、体を動かして健康を維持する努力をして、少しでもリスクを減らすべきなんでしょうね。
このブログがエンディングノートにならないように、お散歩でもしてきます。
でわ、股!!
体は動かさないと固まるよ!ボクみたいに!