46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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ブログの文章の勉強のために本を買ってみてわかったこと

どうも、マスクド・ニシオカです。

ブログを毎日書いていますが、書いても書いてもこれで合っているのかどうかわからないので、本を買って検証と勉強をすることにしました。どの本にするか悩みましたが、あくまでも文章の書き方なので「ブログのなんちゃら」みたいな本はやめて、他のブログでも紹介されていた文章について書かれている本を選びました。

書いているのはニュースサイトである「ナタリー」の編集長であり、新人研修も行っていた唐木 元という方で、新人研修で行っていた内容をそのまま本にしてあります。ですので、ブログを書くことを目的したものではなく、あくまでも記事を書くことを主眼とした上での文章の書き方ということになります。しかしそんな小難しいこと以前に、文章の基本がわかっていない自分には十分すぎる内容でした。

この本を読んで目からウロコが落ちたことを、いくつか書いてみたいと思います。もちろん、みなさんに「そんなことも知らなかったの!?」とツッコまれることを覚悟して、さらに出来るだけハードルを上げないようにしてみます。

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良い文章の定義

この本の大前提として書かれているのは、「文章は完読されるべし」という定義です。いくら良いことが書かれていても、何らかの理由で最後まで読まれなければダメな文章であり、読ませることが出来ない書き手の文章力が低いということになります。ですので「完読」されるためにどう書けばいいのか、それがこの本の目的となります。そこで「完読」のために必要なことで、自分が「なるほど!」と思ったことを大きく3つにまとめ、それについて書いていきます。

  • 無駄をカットして読ませる
  • カットしないで読ませる
  • カットしすぎないで読ませる

無駄をカットして読ませる

ブログで「良い記事」とされるには文字数で1,500とか2,000が必要で、文字数が少ないと検索されにくいといわれます。ですのでブログを書いていると、どうしても文字数を稼ぐために無駄なことを書いているような気がします。ですがそれは読み手にとっては関係なくて、本当に必要なことだけ書かれているほうが読みやすいはずです。書き手が本当に伝えたいことであれば余計な部分はカットされたスッキリとした文章にして、それでいて必要な文字数を稼げなければ、良い記事とはいえないのでしょう。ここでは完読される文章を目指すという観点で、無駄をカットする方法を考えます。

「脱線」「言い訳」「メタ言及」をカット

「余談ですが~」で始まる文章は、書き手としては自慢のエピソードを紹介して悦に入れる部分ですが、読み手側からすれば読むことをやめる機会となります。それが本文に関係する内容であれば余談にする必要はなく、本文の中で説明するべきです。

文章の始まりに「あくまでも個人的な意見ですが~」と言い訳を書くことは、そのあと書かれている内容を断定できないことになります。自信が無いのであればちゃんと調べなおして断定できるようにする、もしくは覚悟を持って書くことが読み手に最後まで読ませることに繋がります。

「メタ言及」というのは「これから書くことは~」や「私の知る限りでは~」など文章を補足するものですが、これがなくても読み手に伝わるのであれば不要です。スパイスとしてたまに出てくるのであれば良いのですが、これが多く出てくるということは文字数を稼いでいるか文章に自信がないかです。

持って回った言い回しをカット

  • 「努力しようとしてきたわけではなかった」
  • 「努力してこなかった」

まるで運転免許の筆記問題のようで、努力したの?していないの?どっち?と読み手に考えさせることが読み手を疲れさせる原因となります。書き手としては表現のひとつとしてやっているかもしれませんが、読み手の立場で考えるなら言い回しは疲れます。

ダブっている言葉をカット

  • 「この本は女性に大好評のダイエットについて書かれた本です」
  • 「この本は女性に大好評で、ダイエットについて書かれています」

どちらも同じ内容ですが、上の例文には「本」が2回出てきます。これはまだ読める文章ですが、「この本は、本です」と書かれていると変なことがわかります。また「とても陽気でハイテンションでノリノリでかっこよくて最高な曲」のような表現も、「曲」に対して飾り付けをしたい書き手の気持ちはわかるのですが、読み手とすればどんな曲なのかわかりません。読みやすさを優先するのであれば伝わりやすい言葉選びとその数を制限する必要があります。

カットしないで読ませる

カットしても内容が伝わる無駄な部分は不要ですが、カットして伝わらなくなる、もしくは読み手が読みづらくなる部分は必要です。しかし言葉の並び順が悪ければ、読み手を混乱させることになり、完読してもらえません。ここでは必要だけれど並び替えで読みやすくする方法を考えます。

情報は全て書く

例えば「本を買いに行く」という文章があるとします。しかしこれでは情報が少ないので必要なことを加えていきます。

  • 「いつ」昨日
  • 「何」ダイエットの本
  • 「どこ」近所の本屋さん
  • 「誰」私
  • 「どうやって」歩いて
  • 「なぜ」太ってきたから

これを加えると情報が全て詰まった文章になるのですが、その並べ方で読みやすいかどうかが変わっています。

  • 「私は最近太ってきたので、歩いて近所の本屋さんにダイエットの本を買いに行きました」
  • 「最近太ってきた私は、ダイエットの本を買いに近所の本屋さんまで歩いていきました」
  • 「ダイエットの本を買いに、近所の本屋さんまで歩いていった私は最近太ってきたの」 

どれも意味としては同じですが感じが変わってきます。どれが正解というのはありませんが、5W1Hどれかひとつでも抜けていると読み手が読み返さないと理解できなくなります。書き手は頭の中で文章を完成させているけれど、書いている間に抜けていることがあるので読み返しが必要です。

文章の構造を理解する

「体の大きな関取が、丸い土俵の上に立っている」

簡単に思える文章でも、意外と構造は複雑です。書いた文章をチェックするときには後ろから関係性を確認していき、すべてが繋がっているかを確認します。

  • 立っているのは誰? ⇒ 関取
  • 立っているのはどこ? ⇒ 上に
  • 何の上? ⇒ 土俵
  • どんな土俵? ⇒ 丸い
  • どんな関取? ⇒ 体の大きな

例文のように短い文章であれば、構造を確認することは簡単ですが、これが長文になると読みづらくなります。特に最初と最後が離れていくと繋がらなくなると読みづらくなります。上の例文を無理やり長くするとこうなります。

「体の大きな関取が、何十人も狭い土俵の上でまるで満員電車にゆられているサラリーマンのように汗をかきながら、そして痴漢に間違えられないように吊革を奪い合って持って立っている」

狭いことを表現したくて「満員電車」を出して、満員電車を表現したくて「痴漢」を出しているのですが、結局は「関取」が「立っている」の説明のはずで、それ以外は読み手に負担をかけるかおもしろいと思わせるかギリギリのところです。そして、これを書ける自分はこのミスをたくさんやっているからです。

漢字の使い方を考える

「言う」「居る」「欲しい」「事」「所」「物」このような漢字は近年ひらがなで表記されることが多くなっていて、自分も「言う」には苦労しました。ちゃんとした表記を目指すのであれば漢字の意味を学び、使いどころを間違えないようにしなければなりません。自分はどこかで「いう」に統一していますが、たまに「言う」と書いてしまってまだブレています。

読点で文章をコントロールする

読点「、」についてはいろんなところで書かれていますが、基本的なこととして読点の有無で内容が変わってくることに注意が必要です。同じ文章で読点の有無と場所を変えてみます。

  • 「嫁が楽しそうに踊る自分を見た」
  • 「嫁が、楽しそうに踊る自分を見た」
  • 「嫁が楽しそうに、踊る自分を見た」

読点がなければ読み手を混乱させます。読点の場所が変われば、嫁と自分のどちらが楽しそうなのかが変わってきます。読点にはこれを区別する役割があるのです。

カットしすぎないで読ませる

無駄をカットすれば読みやすくなるかもしれませんが、それが必ず正しいわけではありません。これまで書いたことと矛盾していますが、あえて不要な表現をすることで変化球を読み手に投げることもたまには必要になります。ここではその辺のことを書いてみます。

ぶっきらぼうな表現にならない

カットしすぎた文章は鋭くなりますが、同時にぶっきらぼうにもなります。

  • 「ダウンタウン結成30周年記念ライブ開催」
  • 「ダウンタウンが結成30周年を記念したライブを開催する」

どちらも意味は同じですが、下の例文の方が幾分やさしい表現になります。無駄のない文章よりも多少ぜい肉がついた文章の方が読みやすくなるということです。書き手としてはその加減をコントロール出来るようになる必要があります。多すぎても少なすぎてもダメなのです。

「それ」を連発しない

「マスクド・ニシオカは3歳から水泳を始め、中学高校でも水泳部で活躍しました。成人してからは、それで風邪を引きませんし、それがあったのでスイミングの仕事に就くことも出来ました」

この文章の真意は別として意味は通じると思います。しかし読み手に「それ」が何なのかを考えさせることにもなります。書き手としては面倒でありわかっていることでも、読み手の立場になって考えると手を抜けないところです。

「マスクド・ニシオカは3歳から水泳を始め、中学高校でも水泳部で活躍しました。成人してからは、水泳を続けたおかげで風邪を引きませんし、水泳部での活躍があったのでスイミングの仕事に就くことも出来ました」

客観的な根拠を添える

グルメコメントを求められて「美味しい」と表現したところで「どう美味しいの?」とつっこまれるのがオチです。文章で何かを伝えるときに、それが何故そうなのかを説明していなければ読み手には伝わりません。

  • 「人気のアイス」に対しては「どこで人気なの?」「何が人気なの?」
  • 「彼らしい演奏」に対しては「どこが彼らしいの?」

こんなツッコミが入ります。そこで客観的根拠としてこのように書きます。

  • 「いつも行列が出来る人気のアイス」
  • 「ワイルドなイメージの彼らしい演奏」

もちろんこれでも完璧ではありませんが、何もないよりは読み手に伝わります。

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最後に

本を読んで勉強して、それを説明するためにこの記事を書いたのですが、この記事で書いたことと実際に自分が書いた内容が、ブレているような気がしてなりません。あくまでも勉強中であるということで大目に見てもらえればと思います。(すでに言い訳)

もちろんブログなんて自由なものですから、どんな文章を書くのも自由です。それにみんながみんな同じ文章を書いていたら気持ち悪いような気もしていました。しかし読みやすい文章でありながら、切り口がそれぞれ違うというのであれば、同じような文章であっても良いのかな?なんて思ったりします。自分が買って参考書のようにしているこの本も、きっと自分以外の人は違う切り口で紹介されているでしょうし、自分と同じ内容にはならないでしょう。

今後、自分としてはもっと読みやすい文章を書けるように、すでにたくさん読まれているブログのほうに寄って行かなければならないのです。

最後に、この本を読んで記事を書きましたが、あくまでも読んだ自分の解釈で書かせてもらっています。なので本で書かれている内容と違って表現しているかもしれませんが、その点はご容赦ください。本当に勉強されたい方はご自分で手にとって納得していただいたほうがよろしいかと思います。

 

でわ、股!!

 

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