46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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人生なんとかなると思う 昔救急車に乗った思い出

どうも、マスクド・ニシオカです。

突然ですがアナタは救急車に乗ったことはありますか?

もちろん「救急車に乗る」という言葉の定義は「病気やケガで病院に運ばれるために乗る」という、患者として乗ったことがあるだけでなく、「救急車を運転するために乗る」や「誰かの付き添いで乗る」や「救急車を作るために乗る」いろいろあるでしょう。

自分の場合は「患者として乗る」を一度だけ経験していて、「付き添いで乗る」を何度か経験しています。スイミングスクールでコーチの仕事をしていたときに、お客さんの体調が悪くなって同乗したことが何度かあります。

今回のハナシは自分が唯一「患者として乗った」ときの話であり、そのことを思い出すと「人生なんとかなるでしょ」と思ってしまうのです。

 

子どもの頃住んでいた文化住宅

10歳まで文化住宅に住んでいました。近畿地方以外の方には文化住宅ってなんだ?と思われるかもしれませんが、簡単にいえば1階と2階で別家庭が住むことができる集合住宅であり、風呂なしアパートといえばわかりやすいでしょうか。

近畿地方における集合住宅の一呼称。 1950 - 60年代の高度経済成長期に使われ始めた用語で、主として当時に建てられた瓦葺きの木造モルタル2階建てで、1-2階の繋がったメゾネット、あるいは各階に長屋状に住戸が並んだ風呂なしアパートを指す[1]。「文化」(「ん」にアクセント)と略称されることもある。この種の住宅が「文化住宅」と呼ばれたのは、それまでの長屋や下宿屋など集合住宅の多くが便所や台所を共用としていたのに対し、これらの設備を各住戸に独立して配置したことから、従来の集合住宅よりも「文化的」という理由である。

(ウィキペディアより)

そんな文化住宅の2階に家族4人(父、母。自分、妹)で住んでいましたが、子どもの頃はそれが当たり前だと思っていたので、風呂がないことも玄関開けたらすぐに階段だったことも、トイレが外にあって一度ベランダ(っぽいもの)に出てから入らないといけないことも、特に不自由だとは思っていませんでした。子どもですしね。

 

ひな祭りの頃だったと思う

父親はどちらかというとマメな人で、子どもの成長を写真に残すことを面倒だとは感じず、子どもである自分たちはことあるごとに父親の構えるカメラの前でポーズを取らされていました。

記憶が正しければひな祭りの頃だったと思います。妹が主役となり雛人形の前で写真を撮ることになりましたが、人格が破綻していた子どもの頃の自分は、「どうせ写真を撮るなら目立たなくては!」と思い、4歳年下の妹を押しのけてカメラの前でポーズを取っていました。

しかしそのとき偶然にも、尿意が自分を襲います。ここで自分の中では「目立ちたい!」と「オシッコ漏れそう!」の戦いが始まるのです。

 

文化住宅のトイレは家の外

正確にいうと家の外というのは間違いで、洗濯物を干すためのわずかなスペース(ベランダっぽいもの)があり、一旦そこに出てからトイレに入るという形です。

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そんなに距離があるわけではありませんが、2回扉を操作しなければ便器にたどり着かず、トイレに行くことは、ちょっとメンドクサイことでした。

 

父親はアングルにこだわる人

尿意を我慢しながらカメラの前でポーズを取っていた自分ですが、カメラを構える父親はアングルにこだわる人で、なかなかシャッターを押してくれません。デジタルの今なら撮った画像をすぐに確認することが出来ますが、当時はフィルムだったこともあり、父親が納得しなければなかなかシャッターは押されません。

ひな祭りの主役である妹を押しのけて、自分がアングルの中心にいようとすることも、父親がシャッターを押さない原因でした。いま思えば、自分で自分の首を絞めていたようなものです。あの頃の自分には「馬鹿!」と言ってやりたいです。

なかなか押されないシャッターと、ジリジリと増していく尿意。自然とモジモジしてしまう自分がそこにいました。

 

頭の中で起こっていたこと

人間の脳とは不思議なもので、昨日の晩ゴハン何を食べたか思い出せないのに、このときの自分の頭の中で起こっていたことは、ボンヤリですが覚えています。

猛烈にオシッコに行きたいけれど、トイレに行っている間に写真を撮られてしまう!このままでは兄としての威厳も面目も丸潰れだ!ここはなんとしても我慢せねば!たぶんこんなことを考えていました。

こんな子ども時代を過ごしていましたので、「自分には子どもが出来なくて良かったかも」と思います。

 

父親との交渉

ここで自分は父親と交渉することにしました。

「オレがオシッコする間、写真撮らないで!」

このセリフだけを切り取ると、オシッコしているところを撮影しようとする変なおじさんに懇願する少年みたいな感じですが、ただのワガママであり、馬鹿の極みです。

しかし、それを了承しないとオシッコを我慢し続けると聞いた父親は、しぶしぶ受け入れることとなりました。

 

いかに早くオシッコを終わらせるか

父親との交渉に成功した自分は、慌ててトイレに向かいます。

しかし、いくら交渉が成立したといっても、それが守られるという保証はありません。もしかしたらこっそりと自分がいない間に、パチリと写真を撮るのではないか?と思い、いかに早くオシッコを終わらせるかを考えます。

早くトイレに行って、早くオシッコを出し切って、早くカメラの前に戻らなきゃ!

 

そして悲劇が・・・

「いかに早くするか」しか考えていない自分は、キビキビとした行動で立ち上がり、部屋の扉を開けて外に出て、トイレに向かいます。

ズボンのチャックを勢いよく下ろし、ムスコを取り出してオシッコを始めます。当然、勢いはフルパワーで、便器から的が外れていようが多少足元に尿の飛沫を感じようがお構いなしです。とにかく早く終わらせないといけないのです。

そしてようやくオシッコを出し切って、後はカメラの前に戻るだけだ!と思い、大慌てでチャックを勢いよく上げたとき、悲劇は起こりました。

ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

チャックから皮が出ている

自分では何が起こったかわかりませんが、下半身に衝撃的な痛みが走り、見るとズボンのチャックから自分のムスコの皮が出てています。

とにかく痛かったので声を上げて助けを呼びました。ここで自分は泣き叫ぶだけで何も出来ません。あわてた父親は力ずくでチャックを動かそうとしますが、皮が邪魔をして動かず、逆に動かせば自分が「痛い!痛い!」と叫ぶだけです。

いろいろ試したものの、どうにも出来なくなった両親は、救急車を呼ぶことになります。

 

病院で大工手術

救急車がサイレンを鳴らして来たことで、同じ文化住宅に住む人が何事かと家から出てきました。担架に横たわりグッタリする自分に近所の優しいおばちゃんが、「大丈夫か?」と声をかけるものの、両親に事情を聞いたとたんにニヤニヤしていたことは、今でも忘れられません。

そのまま近くの病院に運ばれますが、何の因果かそこは自分が生まれた場所で、父親の草野球仲間の医者がいる病院です。痛いけれど恥ずかしい、ずっとそう思っていました。

しかも、こんな症例は珍しいということで、続々と医者が集まってきます。命に別状がないわけですから仕方がないのですが、さらに恥ずかしいという気持ちが高まります。とはいっても全て自業自得なので、誰に文句をいうことも出来ません。

結局、この手術は「チャックを壊すこと」という方針が決まりましたが、病院には大工道具がありませんので、父親が大急ぎで家に取りに行き、その大工道具でチャックを破壊し、ほどなく大工手術は無事終了しました。

その後、当分の間はムスコにチャックに挟まれたアザが残りましたが、時間と共に消えていきました。しかし記憶だけは残ったのです。

 

その当時は真剣に悩んだ

これが自分の初めて救急車に乗った記憶ですが、当時は真剣に悩んでいました。

「オシッコができなくなったらどうしよう?」なんていうのは直接医者や親に相談できますが、「エッチなことができなかったらどうしよう」とはいえません。

そして月日が流れ大人になってから、ちゃんとできたときには本当に嬉しかったものです。

 

人生なんとかなる

途中から何のことを書いているか忘れていましたが、結局はそんなことがあっても、「なんとか生きています」ということです。

こうやって書いている自分が思うのですから、アソコの皮がチャックに挟まったことくらいで大げさな・・・と思われるかもしれません。ただ、その当時は真剣に悩んでいて「このアザは一生残るのだろうか?」とか「男性としては終わったのではないか?」とか、子どものくせに想像力だけは一丁前でしたので、そんなことばかり考えていました。

ですが時間が経って振り返ってみると、その当時の悲壮感はなく、逆にそれがおもしろい笑い話になるわけです。そう考えると、いま起こっていることも後になれば笑えるんだろうなぁ~と思ったりするのです。

自分は46歳で会社を辞め、再就職もせずにブログを書いています。世の中の人にいわせればおかしなことをやっていると思われたり、ちゃんと働くべきだと思われているかもしれません。自分でも「このままでいいのか?」と思うときがありますから、そう思われるのも仕方がありません。

ただ、この判断が正解かどうかは別として、いつか退職したことを、子どものときのことのように笑える日が来るんだと思っています。

もちろん、世の中にはもっと大変になっている人がいて、こんなことくらいでいえる立場ではなかもしれませんが、ふと子どもの頃のことを思い出して書いてみました。

 

でわ、股!!

 

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