46歳で退職してブロガーになってみた

働けおっさんブロガー

26年勤めた仕事を無計画に辞めたおっさんの生き様を綴る

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無事にレッスンを終えたことから始めるハナシ〈mata.〉

昨日はスイミングスクールのコーチの仕事の日で、無事に終えることが出来ました。

先日、東京のスポーツクラブで水難事故(溺水事故)があり、残念ながら溺れた子どもが亡くなられたと知り、さらに「自分も同じことに・・・」とビビリながらでしたが、それでも子どもを楽しませて、無事にレッスンを終えました。

 

以前から言ってますが、「絶対に溺れない方法」は「水に入らない」しかないのです。

なんだかトンチのようですが、「水に入れば溺れる可能性がある」わけで、「その可能性を低くすることは出来るけれど、決してゼロにはならない」のです。

もちろん、「 しかし洪水や水上事故はある(wattoさんのコメントより)」わけで、そのときに命を守るために泳げるようになる必要があります。

そうなると、いかに安全な体制で水に入ることが出来るか?、つまり、何らかのアクシデントがあっても溺れる前に助けることが出来るか?となります。

 

今回の件でいえば、子ども20人ほどに対して監視2名(水中1名プールサイド1名)がいて、さらに学童保育の職員がプールサイドに2名いたそうなので、合計4名の監視体制でしたが、事故は起きてしまいました。

となると、監視員を増やすことが問題解決となりますが、実際にスイミングで働く人間としては、そのことには疑問を抱きます。

あくまでも仮説であり、今回の件とは別ですが、例えば水遊びの時間が始まって、はしゃぐ子どもの相手を監視員がした場合、この時点でこの監視員の目には目の前の数人しか映っていないので、溺れている子どもには全く気付かないのです。

つまり、「監視員の人数に問題がないとすると、監視体制に改善すべき点があったということになる(lambamirstanさんのコメントより)」わけで、極論ではありますが「子ども1名に監視員1名」もしくは「保護者の付き添いが必要」(lambamirstanさんのコメントより)じゃないと絶対安全とはなりません。

(ここまで書いておいてアレですが、「じゃあどうすれば?」については、かなり長くなるので、もう少し心の余裕が出来たときに書かせていただきます。)

 

というわけで、実際にプールで子どもに水泳を教える自分としては、「とりあえず無事に終われてヨカッタヨカッタ」と思いたいのですが、どこかそのことはスッ飛ばされ、「溺れないようにすること」よりも「泳げるようになること」が重視され、もっと言えば「早く進級してほしい」とか「うちの子はバタフライが泳げるのざますよ」と言いたいがためにスイミングスクールが存在するのでは?と感じるのが現実的な所です。

もちろん「安全なんて当たり前」と言われたらそれまでなんですけれど、ここは一度立ち止まって、とりあえず無事にレッスンが終わったことから始めませんかね?

じゃないと、これまで犠牲になった子どもが可哀想です。

 

そして最後となりましたが、亡くなられたお子さんのご冥福をお祈りします。

 

でわ、また。