実家が兵庫県の尼崎市にあり、阪神淡路大震災を経験しました。
その記憶を忘れないために、毎年書いています。
29年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ〈mata.〉 - 働けおっさんブロガー
28年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ〈mata.〉 - 働けおっさんブロガー
27年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ - 働けおっさんブロガー
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24年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ - 働けおっさんブロガー
23年前の今日(1・17)の阪神淡路大震災の記憶のハナシ - 働けおっさんブロガー
今年は30年の節目ということもあり、その記憶を忘れないように、さらに経験していない世代に伝えようと、いつもより多めに、メディアなどで報じられている気がします。
それを観ると、つくづく自分たちが受けた被害は軽くてよかった、そして生きていることに感謝せねば、みたいなことは思います。
ただ、自分たちにとっては「30年目の節目」よりも、昨年父親が亡くなったことで実家を手放すことになったことの方が大きく、ちょとだけ感慨深くなっております。
特に、実家にある食器棚。
あのとき両親は食器棚の下のコタツで寝ており、もし食器棚ごと倒れて下敷きになっていたら、亡くなるまではいかずとも、確実にケガはしていたでしょう。
あとで聞くと、ご近所さんの食器棚は倒れたり食器が飛び出したりしていたそうで、置いてる向きがよかったのか?、それとも4人家族には不釣り合いな量の皿やコップを「もったいないから・・・」と捨てずに詰め込んでいたからか?、とにかく実家の食器棚は倒れませんでした。
そんな食器棚も、実家を手放すことにしたので、お別れです。
本当にありがとうございます。
ちなみに、自室にあった勉強机は派手に倒れて扉のガラスも割れましたが、あれはきっと「おい!オマエ!全然勉強せーへんやんけ!」というメッセージだったのかな?なんて思っとります。
本当にごめんなさい。
でわ、股!!