先日、実家の仏壇じまい(魂抜き?)をしました。
3年前に母親が亡くなって、数日前に親父が亡くなって、誰も住まなくなった実家にある、誰も手を合わせることのなくなった仏壇です。
もちろん長男である自分が引き継ぐことは可能ですが、そこまでするほどの信心はなく、これを機に退会(脱退?)することにして、イコール仏壇も、となりました。
実家にお坊さんと世話係の女性が来てもらい、お経を唱えてもらい、預かっていた形になる御本尊(お経の一部が書かれた紙)などと、それ以外にも持ち帰ってお焚き上げしてもらう物の仕分けをして、物理的な作業は滞りなく終わりました。
そこからは、予想はしていましたが、心理的な作業となり、つまり「なんで退会するの?」みたいな話が始まり、それをのらりくらりとかわすことになるのですが、次のひと言に「ん?」となりました。
「お母さんはあれだけ熱心だったのに・・・」
確かに母親は熱心で、毎日電車に乗ったり親父に車で送迎されて、毎日片道1時間ほどかけて、お寺に通っていました。
それを信心深いと言えばそうなんでしょうが、冷静に考えるとお金がかかることであり、少なくとも交通費は自腹で、他にもお金を収めていて、そのお金でそれまでエレベーターのなかったお寺がエレベーター付きのビルに建て替えられました。
もちろん宗教とお金は切っても切れない間柄であり、お金が勿体ない!と言うつもりもないのですが、信心の低い自分には理解できず、そこがどうしても「ん?」となります。
「ってことは、貧乏人は宗教に不向きなんですか?」
どうせ最後だし聞いてやろうか?と思いましたが、あとで嫁さんに怒られる方が怖いので、言葉にはせず顔に書くだけにして、その後ものらりくらりとかわして、お帰り頂きました。
その帰り道、ひねくれ者の脳ミソは、「じゃあ逆にお金をかけずに出来るかやってやろうか!」みたいなスイッチを押そうとしましたが、もちろんすぐに却下しました。
というわけで、まだまだやることは残っていますが、とりあえずひとつ終わりました。
小さなことからコツコツと!
でわ、股!!
(下記は今回のことで読みたくなった本で自分は読んでませんので悪しからず)
